2011年11月29日火曜日

世界における若者の失業問題について⑤

以下ここまでこの問題に関するポストで挙げたポイントを列挙する。
  • ポイント1. 1991年から2009年にかけて世界の若者人口は約20%増加しているが、それに見合った割合で労働力人口や就業者数は増えなかった。
  • ポイント2. 若者人口の増加に見合うだけの就労者数の増加がおきなかったため、同期間において就労者数が総人口に占める割合(就業者率)は一環して低下している
  • ポイント3. 世界全体で見た場合、若年世代の失業率は1992年からほぼ上昇しており、2005-2007にかけて急減したが、2008年から上昇し、2005年以前の水準に戻っている
  • ポイント4. 若年世代の失業率には世界各地で大きな地域差があり、そして地域内の国ごとにも大きな差がある
    • 2010年時点で見た場合若年失業率は、1.中東、2.北アフリカ、3. 中央及び南東ヨーロッパ&CIS地域、4. 先進諸国及びEU、5. ラテンアメリカおよびカリビアン諸国、6. 東南アジア及び太平洋地域、7. サブサハラアフリカ地域、8. 南アジア、9. 東アジアの順に高い
    • 上記の地域別失業率は1990年代-2010年までの間は地域間で収束するような傾向は見られない
    • (先進国以外の)東および南アジア地域の失業率は世界の他の地域と比べて低い。また2008年以降の金融危機以降にも失業率の極端な増加は見られない
    • 北アフリカ・中東地域はこの期間慢性的に失業率が高かった(これらの地域で起こった動乱の要因?)
    • 先進国およびEUの失業率は2008年(ピーク時)以降急増している
  • ポイント5. 先進諸国の平均で見た場合、若年世代(15-24)の失業率はその上の世代(25-54)の失業率と比べて平均で2倍ほど高い
  • ポイント6:東アジア・先進諸国&EUを除いた地域別でみた場合、若年世代の女性の失業率は男性のそれよりも高い。
  • ポイント7: 全体の傾向として若年層においても女性の雇用機会や給料等の条件は男性のそれよりも悪い
  • ポイント8: 男女格差以外に若年層の内部では以下のような傾向が観察されている(ILO(2010))。
    • 15-19歳の失業率はそれより上の年代(20-24歳)よりも高い
    • ほとんどのOECD諸国において失業率が高いのは、受けた教育のレベルが低い層である。これらの国では教育は失業のリスクを減らす。一方中東や北アフリカにおいては高い教育をうけたものほど失業率が高い。これはこれらの地域において、高い教育をうけたものが就きたがる仕事の供給が、増加する高等教育終了者の数を下回っていることを意味する。結果としてこれらの地域では、高等教育をうけたものが国外に流出しがちである
    • ほとんどの国において、人種的にマイノリティに属する層の失業率はほかの層よりも高い。これは労働市場における差別とこれらのマイノリティの人々のうける教育が他と比較して低くなりがちなせいである
    • 親が貧しければ貧しいほど、子どもが失業を経験する確率が高くなる。労働市場への参入にさいし、貧困層の子供は中間層の子供に比べてより高いを経験する。 
  • ポイント9:2008年の金融危機以降、ほとんどすべての国で若者の長期失業率が上昇している。
次回からこの問題に対して提唱されている対策に触れる。

2011年11月28日月曜日

世界における若者の失業問題について④

前回は若年失業率について男女間の差異をみたが、今回男女格差以外の特徴と長期失業率について。

【若年層内での特徴】
ポイント8: 男女格差以外に若年層の内部では以下のような傾向が観察されている(ILO(2010))。
  • 15-19歳の失業率はそれより上の年代(20-24歳)よりも高い
  • ほとんどのOECD諸国において失業率が高いのは、受けた教育のレベルが低い層である。これらの国では教育は失業のリスクを減らす。一方中東や北アフリカにおいては高い教育をうけたものほど失業率が高い。これはこれらの地域において、高い教育をうけたものが就きたがる仕事の供給が、増加する高等教育終了者の数を下回っていることを意味する。結果としてこれらの地域では、高等教育をうけたものが国外に流出しがちである
  • ほとんどの国において、人種的にマイノリティに属する層の失業率はほかの層よりも高い。これは労働市場における差別とこれらのマイノリティの人々のうける教育が他と比較して低くなりがちなせいである
  • 親が貧しければ貧しいほど、子どもが失業を経験する確率が高くなる。労働市場への参入にさいし、貧困層の子供は中間層の子供に比べてより高いを経験する。 
なおOECD(2008)はこのほかに、貧困地域や郊外地域に住んでいる若者の職をみつけるのに不利を経験しやすい、としている。最後の2項目は個別の要因としてだけではなく、相互に連関する要因として失業に影響を及ぼすと思われる。

【若年層における長期間失業率とその割合】
ポイント9:2008年の金融危機以降、ほとんどすべての国で若者の長期失業率が上昇している。
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失業のなかでも長期の失業(ILOは「1年以上の失業」と定義している)は短期の失業と比較して、社会および失業者双方に与えるダメージがより大きいと考えられている。以下はILO(2011)から長期失業率のグラフを作成したもの(金融危機の影響をみるため2007年と2010年で比較している)。
出所:ILO(2011)より筆者作成
ほとんどの国で長期の失業率が上昇している(ドイツは長期失業率が低下している珍しい国である)。

前々回のポスト(②)で国別の一般失業率(長期も短期も含んだもの)に関し同様のグラフを見たが、以下では長期失業者が失業者に占める割合(=長期失業率÷失業率)を前々回のグラフと上のグラフを使って計算した。
スペイン・ポルトガル・ギリシャ等は一般失業率が高い上に、長期失業者割合も高くなっているため、状況的には見かけの失業率の高さ以上に悪い状態が出現している。逆にカナダ、デンマーク、フィンランド、ノルウェー・スウェーデン等は失業率に占める長期失業者の割合が少ないため、労働市場において仕事がない状態が長期間続き、それが固定化する、といった状態までは至っていないように思える。

ILOは長期失業率の悪化とそれがもたらす可能性のある損失について以下のようにコメントしている。
With labour market conditions continuing to worsen, long-term unemployment among youth has already begun to rise in almost all countries, notably in Spain and the United States.
(訳)労働市場の状況が悪化しつづけているため、若年層の間の長期失業率はほとんどすべての国で上昇し始めています。特に上昇はスペインとアメリカで上昇が顕著です。
The impact of long-term unemployment on youth can be devastating and long-lasting. Young people, who lack general or vocational education and work experience, are especially vulnerable to the crisis.
(訳)若者の長期失業のインパクトは破壊的で、長く継続するものになる可能性があります。一般的または職業的な教育と業務経験を欠いている若者は、経済危機に対し特に弱い存在です。
The longer young persons remain out of touch with the labour market, the more difficult – and costly – it is to return to productive employment. There are also a number of important social implications related to exclusion, including susceptibility to anti-social behaviour, including juvenile delinquency, and social unrest.
(訳)労働市場から除外されている期間が長いほど、若者が生産的な雇用に復帰するのがより難しく、そして費用が高くつくようになります。長期失業にはまた、非行等の反社会的行動に走りやすくなることを含む社会からの疎外や社会的騒乱に関係するたくさんの重要な社会的インプリケーションがあります。

2011年11月25日金曜日

世界における若者の失業問題について③

前回失業率について地域別及び上の世代との比較を見たが、今回は男女差についての数字をみる。

【男女別の若年世代失業率】
ポイント6:東アジア・先進諸国&EUを除いた地域別でみた場合、若年世代の女性の失業率は男性のそれよりも高い。

出所:ILO(2010)から筆者作成
なお、当たり前すぎてあらためて指摘する必要もないかもしれないが念のため。失業率に大きな差がないからといって労働市場における男女の待遇に差がないということではない。このトピックは後で扱う。

失業率の男女差が中東と北アフリカで特に大きいことについて、ILO(2010)はレポート中のコラム「2重の重荷:中東と北アフリカにおいて、若い女性であるということ/A double burden: Being female and young in the Middle East and North Africa」で以下のようにコメントしている。
The gender gaps in most labour market indicators, including youth unemployment rates and labour force participation rates, are consistently higher in the Middle East and North Africa than in all other regions, reflecting the strong cultural, social and economic gender divisions. ......Some employers openly give preference to male jobseekers. Others might prefer female workers but the jobs offered are low-skilled and low-paid and therefore not attractive to the few women holding out for employment.
(訳)中東と北アフリカにおいて、若年失業率、労働者就労率などを含む労働市場に関する指標が示す男女間の格差は、ほかのすべての地域のそれよりも継続して大きい。これは強い文化的、社会的、経済的なジェンダー間の格差があることを示している。(略)雇用者のなかには、隠し立てせずに男性の求職者のほうを好むものがいる。女性の労働者を好むものもいるかもしれないが、その場合に提示される仕事は低スキル・低賃金のものであり、働くことを求めている数少ない女性にとって魅力的なものではない。
The educated young women mainly attempt to find work in the shrinking public sector, hence the extremely high female youth unemployment rates in both regions (30.8 and 30.3 per cent in the Middle East and North Africa, respectively, in 2008). Dhillon et al. (2007) also cite the lack of economic diversification outside the male-dominated growing oil industry as a cause of high female unemployment.3 Women’s entrepreneurship in the regions is also reportedly low compared to other regions. Although, there are not significant differences between the types of enterprises owned by women and men, women are confronted with more hostile business environments (for example, the time needed to resolve a conflict via the legal system was found to be longer for women than for men). 
(訳)教育を受けた若い女性は、主として縮小しつつあるパブリックセクターで仕事を見つけようとする。結果として両地域における極端に高い女性の失業率につながっている(2008年において30.8%(中東)と30.3%(北アフリカ))。Dhillon et al.(2007)はまた、成長中ではあるが男性優位の職場である石油産業以外の分野での仕事の多様性のなさを、高い女性失業率の原因として挙げている。これらの地域の女性の起業家精神についても、他の地域と比較した場合に際立って低い。(注:起業家が)所有する事業の種類について男女間で目立った差はないが、女性は男性と比較してより難しいビジネス環境に直面する(例えば、リーガルシステムを介した紛争解決に必要となる時間は、女性のほうが男性よりも長いことが分かっている)。
In short, the employment situation facing young women in the Middle East and North Africa is dire and can only be made worse as the economic crisis closes even the few doors open to those who seek to gain some income and satisfaction through employment. ......Unfortunately, the priority given to enforcing policies to combat discrimination and promote female employment and public awareness campaigns regarding the benefits of increasing the economic activity of women fall off the radar in an environment of crisis response.
(訳)まとめると、中東と北アフリカにおいて若い女性が直面する雇用環境は悲惨なもの(dire)であり、昨今の経済危機が、働くことによりいくばくかの収入と達成感を得ようとしている女性に開かれている数少ないドアをさえ閉じようとしているため、状況は悪化する一方である。(略)不運なことに、男女間の差別に対して立ち向かい、女性の雇用を上昇させるための法律の施行と、女性による経済活動が活発化することによって得られる利益について一般の人々の意識を啓蒙するキャンペーンに対して与えらえるプライオリティは、経済危機への対応下ではなかなか(政策の)レーダーに入ってこない。

【若年労働市場における女性の待遇】
ポイント7: 全体の傾向として若年層においても女性の雇用機会や給料等の条件は男性のそれよりも悪い。

先進諸国を含むほとんどすべての国の労働市場(若年労働市場に限られない)において女性の地位(待遇・給与・雇用機会等)は、依然男性よりも低い。ILO(2010)は先進諸国の若年層の女性の地位について以下のような指摘をしている*。
*ILO(2010)は、現状この問題を考察するためのデータとしてはOECDのデータが中心となるため、発展途上国についてはデータにもとづいた意見が言えない、としながらも、多かれ少なかれこのような先進諸国の傾向は発展途上国にもあてはまると思われる、とも付け加えている。前回見たように若年・壮年失業率の比較において先進国よりも中東のほうが格差が大きかったことなどを考えても、発展途上国のほうがこの問題の程度がひどいことは確実だと思われる。
In general, young women have even more difficulties finding work than young men. Even though there are countries and regions where unemployment is lower for young women than for young men, this often only means that women do not even try to find a job but leave the labour market altogether due to discouragement. When they do find a job it is often lower paid and in the informal economy, in unprotected low-skilled jobs. 
(訳)一般的に、若い女性のほうが男性よりも、仕事を見つけるのにより一層苦労している。若い女性の失業率が若い男性のそれよりも低い国と地域もあるが、これはしばしば、仕事探しを思いとどまることで、女性が仕事を探そうともせず、労働市場から完全に脱退していることを意味しているだけである。女性が仕事をみつけたときでも、しばしばその仕事は(男性のそれよりも)低賃金であり、合法な市場内での仕事ではないものであったりする。結果としてこのような仕事は法律に守られず、高いスキルを必要としない仕事となる。
以下ではILOレポートの補足としてOECD(2008)*がOECD諸国における男女間の格差(ここでは若年層に限られない)について述べている文章を参照する。
* OECD. OECD Employment Outlook - 2008 Edition Summary in English. OECD, Paris, 2008, P3-4
In addition, in many countries, labour market discrimination  – i.e. the unequal treatment of equally productive individuals only because they belong to a specific group  – is still a crucial factor inflating disparities in employment and the quality of job opportunities. For example, while female employment rates have expanded considerably and the gender employment and wage gaps have narrowed virtually everywhere, women still have 20% less chance to have a job than men, on average, and they are paid 17% less than their male counterparts.  
(訳) 加えて、多くの国では、労働市場における差別(つまり同等に生産的な個人を彼等彼女等がある特定のグループに属しているという理由のみで、不公平に扱うという差別)は依然として、雇用と仕事の質における格差を増大させる重要な要因である。例えば、女性の労働者数は大幅に増加し、性別による雇用と給与の格差はどの国でも縮小してきたのにもかかわらず、女性が職を得るチャンスは、依然として平均すると男性よりも20%少なく、女性の給与は同様の仕事をしている男性と比較すると17%少ない。
男女間の賃金格差について若年層に焦点をあてて扱ったグラフを見つけることはできなかったが、代わりとして以下ではOECD(2008)のグラフを表示する。このグラフは2008年時点において、正社員の仕事に就いていた男性の平均賃金と同女性の平均賃金との間にあった賃金の格差を表示している。先進諸国内(OECD諸国)にあっても平均で18%の賃金格差があることがわかる(つまり女性の平均賃金は同様の仕事をしている男性よりも18%低い)。
出所: Wikipedia, Gender Pay Gapより


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この一連のポストで日本における女性(ここでは若年世代もその上の世代も含む)の雇用環境に焦点を合わせる予定はなかったが、以下少しだけ日本について。

上のグラフを見ても分かるように日本は韓国と並びOECDのなかで男女間の賃金格差が最も大きい部類の国であり、正社員として働く日本の女性の賃金は、男性のそれと比較すると、平均して約30%も低い。

下は今週のThe Economistの記事に載っているグラフで、左は賃金格差の時系列である。これをみると日本の賃金格差は縮まってきているがまだ大きい(約30%)。右は各国の男女別の労働参加率(労働人口[=就業者+失業中だが仕事を探している者]÷総人口[=労働人口+非労働人口])だが、国際比較で見ても日本の女性の労働参加率が低いことを示している(グラフでは下にイタリアとインドしかいない)。
出所: The Economist

大企業や理解のある中小企業では格差をなくそうという動きは増えつつあり、例外は多々あるのだろうが、平均してみると日本では女性であるということは労働市場でハンディキャップを負うことを意味する。これは今後の日本の企業の競争力の面でも無視できる問題ではない。優秀な女性が外資系に就職したがる理由のうちの一つとして、外資系では待遇・賃金を含めた男女格差がないように「見える」、という理由があるように思える(外資系企業の内実が本当にそのようなものかどうかはここではあまり関係がない)。

The Economistは別の記事でも日本の労働市場における女性の労働参加率及び待遇の低さについて警鐘をならしている。以下同記事からの引用。
Japanese firms are careful to recycle paper but careless about wasting female talent.
日本企業は紙をリサイクルすることには気を遣うが、女性の才能の無駄遣いは気にかけない。

2011年11月24日木曜日

世界における若者の失業問題について②

前回世界総体での失業率を見たが、より細かく見ていくと若年世代の失業率にはいくつか特徴がある。今回は地域別の数字と若者世代とその上の世代を対比した場合の数字を見る。

【地域別失業率】
ポイント4. 若年世代の失業率には世界各地で大きな地域差があり、そして地域内の国ごとにも大きな差がある

世界の地域別若年世代失業率(1991-2011):


ILO(2011)

グラフ中の黒マークはこの期間のピークを表す。上の図を見ると以下がわかる。
  • 2010年時点で見た場合若年失業率は、1.中東、2.北アフリカ、3. 中央及び南東ヨーロッパ&CIS地域、4. 先進諸国及びEU、5. ラテンアメリカおよびカリビアン諸国、6. 東南アジア及び太平洋地域、7. サブサハラアフリカ地域、8. 南アジア、9. 東アジアの順に高い
  • 上記の地域別失業率は1990年代-2010年までの間は地域間で収束するような傾向は見られない
  • (先進国以外の)東および南アジア地域の失業率は世界の他の地域と比べて低い。また2008年以降の金融危機以降にも失業率の極端な増加は見られない
  • 北アフリカ・中東地域はこの期間慢性的に失業率が高かった(これらの地域で起こった動乱の要因?)
  • 先進国およびEUの失業率は2008年(ピーク時)以降急増している
上記は地域別の比較であり、当然ながら地域のなかで国ごとに見た場合に失業率には大きなばらつきがある。以下先進国およびEUに関して、2008年以降の金融危機の影響を見るため、ILO(2011)レポートからいくつかの国をピックアップし、2007年(金融危機前)と2010年(金融危機後)の若年世代の失業率をグラフにした。
出所:ILO(2011)から筆者作成
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上記の国では:
  • ほぼすべての国において金融危機の後では失業率が上昇している(ドイツとスイスは例外だが)
  • 上昇の幅は国ごとに大きな差異(スペインとドイツ等)があり、上昇の原因は構造的なものと循環的なものが2つあるように思われる
  • 日本はドイツ、スイス、オランダ、ノルウェイなどと並び失業率の絶対値が小さい
なお、前回も書いたが、「非労働力人口」に含まれる人は失業率の計算に換算されないため、現在非労働力人口に換算されている「不況などで仕事を探すことを諦めた人」等を失業率に換算した場合、実際の失業率はこれよりもはるかに高いのでは、という懸念がある。

【壮年世代(adult)と若年世代(youth)の失業率の対比】
ポイント5. 先進諸国の平均で見た場合、若年世代(15-24)の失業率はその上の世代(25-54)の失業率と比べて平均で2倍ほど高い

以下はThe EconomistのWebに掲載されたグラフ (Dec 16th 2010, The Economist online)で、縦軸に若年世代(15-24歳)の失業率、横軸にそれよりも上の世代(25-54)の同時点での失業率をとり、表中に点を国ごとにプロットしている。より詳しい算出方法はそれぞれ該当する世代の失業人口/労働力人口、時点は2010年の第二四半期末[6月末]。


グラフ中、EQUAL RATIOと表記のある線は両世代の失業率が等しい(1:1)ことを示す線で、これより傾きが大きくなるほどほど若年世代の失業率の比率がその上の世代のそれに対して大きくなる。
→例えばTWICE AS HIGH[2:1]は若年世代の失業率がそれより上の世代に比べて2倍ということ

これを見ると、世界的にみて、若年世代の失業率はその上の世代のそれに比べて概ね2から3倍ほど高くなるということが分かる。個別の国についてみると:
  • 日本はほぼ傾きが2(Twice As High)の線上に位置している(=若年世代の失業率はその上の世代のそれの約2倍ということ)
  • OECD諸国のアベレージは2よりも若干大きい水準
  • いわゆる北欧諸国(Norway、Sweden、Finland)は傾きが3の線上に位置している
  • スペインやギリシャの若年失業率には景気後退の波だけではなく、なんらかの構造的要因があるように見える
  • ドイツやスイスの傾きが1に近く、かつ失業率も相当低い
なお、この現象は先進諸国だけのものではない。以下は少し古いがThe Economistが同趣旨のグラフで中東をクローズアップしたもの(2008年)。なお、表中の赤いラインと赤文字は筆者が目分量で挿入した。
中東はもともとの失業率が高いうえに、若年層の失業率はさらにそれの2倍以上だとわかる。

2011年11月22日火曜日

世界における若者の失業問題について①

現在世界的な規模で起こっている騒乱やデモの理由の一つとして、若年世代の高い失業率が挙げられている。例えば:
  • 国際労働機関(ILO)はアラブ諸国で起こった反乱の主要な原因として同地域でのこの指標の高さを挙げている
  • 複数の新聞はこの夏にロンドンでおこった暴動の原因の1つに同様にこの指標の高さを挙げている
  • アメリカのOccupy Wall Streetデモの要因としても、格差の問題と関連してこの問題が挙げられている
日本でも若年世代の失業率は上昇傾向にあるといわれる。またThe Economistも過去にこの問題についての特集を組んでいる。

本日から複数回のポストでこの問題に関する数字を追っていく。

これからのポストで主として参照するのは、ILO(国際労働機関)のGlobal Employment Trends for YouthのAugust 2010(ILO(2010))及びそれのアップデート版であるOctober 2011(ILO(2011))の2つのレポートである。

また対象とするのはILOが若年世代として定義する15-24歳の世代の失業問題である。加えて世界の動向を見るため日本の若年失業問題に焦点をあてて扱うことはしない。

なお、よく主張されることだが、国ごとに労働統計の定義やカバーする範囲が時には大幅に異なるため、統計数字だけをおっていても、世界の実相を把握できるとは限らない。ただ他にこの問題について追える資料が見当たらないため、追える範囲の数字だけを見ていくことにする

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【世界の若者人口・労働力人口の推移】
ポイント1. 1991年から2009年にかけて世界の若者人口は約20%増加しているが、それに見合った割合で労働力人口や就業者数は増えなかった。
         出所:ILO(2010)より筆者作成
  • 世界の若年世代(15-24歳)の総人口は1991年から2009年の期間で約20%増加している
  • 同期間に労働力人口は約4%、それ以外(労働力人口以外)の人口は約46%増加している
  • 4%増加した労働力人口の内部を見ると就労者数はこの期間に約2%の増加、失業者数は約15%増加している
  • 従って、世界人口の増加(20%)に見合うような形で就労者人口の増加(1.8%)はおきず、人口が増加した分は主に労働力人口以外の増加(45.4%)に回ったことを示す。
上の労働力人口以外(非労働力人口ともいう)については定義として「就業者と失業者」以外をあらわすため、その増加の要因は様々なものとなる。「仕事をしたいと思っているが景気が悪く職探しをあきらめたもの」や「仕事をさがしているが政府の統計上そう分類されないもの」や「家事をするもの」もここに分類される。従って景気後退期には非労働力人口が増加する傾向がある*。
*日本での定義についてはここを参照

以下は参考までに2010年と2015年(予測)における若者総人口の地域別内訳。
出所 ILO(2010)

【若年世代の就業者人口と就業者割合】
ポイント2. 上記のように若者人口の増加に見合うだけの就労者数の増加がおきなかったため、同期間において就労者数が総人口に占める割合(就業者率)は一環して低下している。

ILO(2010)
上の棒は若者総人口の推移、折れ線は就業者率を示す。

なお、ILOはレポートの中でこの数値の低下について、低下の原因が:
  • 若年世代の高等教育への進学率の上昇などによるもの
  • アフリカ地区に見られるように生活のために教育などをあきらめて就労する人が減ったことによるもの
等の場合はポジティブに考えられるべきであるとする一方、仕事をしたくても仕事がない若年世代の増加が原因の場合は好ましくない、としている(当たり前だが)。


【若年世代失業率の推移】
ポイント3. 世界全体で見た場合、若年世代の失業率は1992年からほぼ上昇しており、2005-2007にかけて急減したが、2008年から上昇し、2005年以前の水準に戻っている。
折れ線は若年世代失業率、棒グラフは若年世代の失業人口を示す。

上からわかるように世界全体で見た場合、若年世代の失業率は1990年代と2000年代の前半を通じて上昇してきた。2005-2007年に失業率は一時的に減少したが、金融危機後の2008年以降は再度失業率が上昇している。なお上の2010年、2011年の数字はレポート発表時点(2010年8月)での予想数値である。

2011年11月21日月曜日

経済危機下の民主主義:政治家とテクノクラート

以前ダニ・ロドリックのトリレンマについて紹介した。簡単にいうと、我々は「経済統合」、「民主主義」、「主権国家」という3者を同時に満たすことはできず、どれか2つを選び、残りの1つは諦めなければならないということだった。

現在経済危機の只中にあるヨーロッパでは、「テクノクラート政府(テクノクラート*によって構成される政府)」という現象が相次いで起きている。
  • イタリアでは政治家が一人も入閣していない新政権が11月16日に発足した。なお、新首相のマリオ・モンティ氏の経歴は、ボッコーニ大学をでたあと、エール大学で経済学者のジェームズ・トービンのもとでPh.dを取得し、その後学者としてのキャリアを積んできた(ちなみにサッカーが好きでACミランのファンらしい)
  • ギリシャでは前欧州中央銀行(ECB)副総裁のルーカス・パパデモス氏が首相となることが11月10日に発表された。パパデモス氏は欧州中央銀行総裁の新総裁のマリオ・ドラギ氏とともに1970年代後半にMITで経済学を学び博士号を取得。その後コロンビア大学やアテネ大学で教えた。またギリシャ中央銀行のエコノミストとしてもキャリアを積んできた
*「テクノクラート」は日本語だと理系の技術官僚としての意味合いが強いようだが、ここでは「選挙を経た政治家ではなく、自身の専門分野に対する知識を持ち、それによって政策に関与することのできる専門家/実務家/官僚」くらいの意味で使い、特に理系に限定しているわけではない。

       出所: BBC、なお左がイタリアのモンティ、右がギリシャのパパデモス氏
これらの新政府は選挙によって選出された政治家によって率いられるわけではなく、もっぱら目下の経済危機を乗り切るため、政治家ではない専門家/実務家を集めた構成となっており、ロドリックのトリレンマを使って考えるならば「経済統合」と「主権国家」の2者を選択し、「民主主義」を選ばない流れと見なせる。

なお、民主主義によって選出された議員を経ずにテクノクラートによって問題を解決していこうという流れはヨーロッパだけではない。The Economistはアメリカで現在行われているSuper Committee*による予算審議も、この「民主主義からテクノクラートへ」という流れへの潮流だとみなしている
*超簡略化すると、民主党・共和党のごく少数の政治家のみで行われる予定の非常に巨額の予算に関する審議を行う委員会

直観的に政治家を抜きにした意思決定は、一見効率はよさそうだが実際に政策を実行したさいに国民に発生する痛みに対し(理論上は)責任を負うべき内閣が国民によって選ばれていない、という状況は中・長期的には問題を起こしそうに見える。

以下では、このテクノクラート政府という現象の概説としてAljazeeraにのった記事(So what exactly is a technocrat anyway?)を抄訳する。なおこの記事はアメリカの政治学者(Political Scientists)が共同で運営しているThe Monkey Cageというブログからの転載である。

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So what exactly is a technocrat anyway?(それで、テクノクラートって結局のところ何なの?)
.......
Q: What's a technocratic government?
A: To answer this question we first need to be clear about how governments are formed in parliamentary systems, which are what we find in both Greece and Italy (and most advanced industrialised democracies outside of the United States).  Unlike in presidential systems - where the president is largely free to choose the ministers he or she wants in the cabinet - in a parliamentary system the government must be approved by the parliament.
Often this will require the agreement of more than one political party, resulting in a coalition of parties to support the government. As part of this "coalition agreement", the heads of ministries (or what are called Secretaries in the United States) are allocated to the different parties, who place representatives from their parties as the heads of their respective ministries. Moreover, the parties agree on a "Prime Minister" to head the government, usually but not always from the largest party in the coalition. Most of the time, the identity of this "Prime Minister" - conditional on election results - is known during the election campaign.
(訳)
Q: テクノクラート政府って何?
A: その質問に答えるためには、議員内閣制の下での政府がどのようにしてつくられるかについて、はっきりさせる必要がある。議院内閣制は、ギリシャとイタリアの両方、そしてアメリカ以外のほとんどの先進工業民主主義国に見ることができる。大統領が自分の好きな閣僚を大体において自由に選ぶことのできる大統領制とは違い、議院内閣制のもとでは政府は議会によって承認されなければならない。
しばしばこのためには、1つ以上の政党の合意が必要となるため、結果として政府を支えるために政党間での連立が起こる。この"連立合意"の一部として、省庁の長(またはアメリカではSecretariesと呼ばれるもの)が複数の政党に割り当てられ、政党は自身の代表者を割り当てられた省庁の長として置く。加えて、政党は政府を率いるための"首相"について合意する。必ずではないが、しばしば首相は連立のなかでもっとも大きな政党の出身者が務める。大体において、この"首相"に誰がなるかについては、選挙の結果次第という条件付きではあるけれども、選挙のキャンペーン中から知られている。

Q: Ok, so what's a technocratic government?
A: Technically (no pun intended), a technocratic government is one in which the ministers are not career politicians; in fact, in some cases they may not even be members of political parties at all. They are instead supposed to be "experts" in the fields of their respective ministries. So the classic example is that the Finance Minister would be someone with an academic background in economics who had worked for years at the IMF, but has not previously run for elective office or been heavily involved in election campaigns.
(訳)
Q: OK、わかったけど、テクノクラート政府って何?
A: 技術的(Technically)には(駄洒落じゃないよ)、テクノクラート政府とは、内閣を構成する閣僚が政治家としてのキャリアをもっていない政府のことだ。実際のところ、いくつかの場合では、これらの閣僚は政党のメンバーですらないかもしれない。代わりに、彼等(彼女等)はそれぞれが割り当てられた省庁が所管とする分野において”エキスパート”だということになっている。だから、古典的な例として、過去において公選職に立候補したことや、政治のキャンペーンに係ったことはないけど、経済学の分野でアカデミックなバックグラウンドがあり、IMFで何年か働いてきた人間が財務大臣(長官)の職についたりする例が挙げられる。

Q: Is the Prime Minister also a "technocrat"?
A: In some cases yes, but it doesn't have to be the case. You could have a prime minister from a major party who heads a technocratic government (i.e., most of the ministers meet the definition laid out above), or you could have a technocratic prime minister as well. In the case of both the Greek and Italian governments, however, the Prime Minister is both a technocrat and an economist. (.....)
(訳)
Q: 首相も"テクノクラート"なの?
A: いくつかのケースではそうだが、そうでなくてはいけないということじゃない。テクノクラート政府を率いる首相がマジョリティーを有している政党からくることもありえる(その場合、ほとんどの閣僚は上で説明された定義を満たす)。もしくは、テクノクラートの首相をもつこともありうる。しかしながら、イタリアやギリシャの政府の場合、首相はテクノクラートでありエコノミストだ。(略)

Q: Why do countries appoint technocratic governments?
A: The practical reason is often because a government has lost the support of parliament, but for various reasons (including legal, pragmatic or political), it is not yet time to hold new elections. If the parties in the parliament can't agree to form a normal government, then sometimes they can all agree to support a temporary technocratic government. When a technocratic government is appointed for a particularly short period of time just to get the next election, it is also known as a "caretaker government".
Just to make things even more complicated, it is possible to have a partisan caretaker government (which is basically what is going on in Slovakia right now), which would not be known as a technocratic government, but instead is often called a "lame duck government".
(訳)
Q: 何故テクノクラート政府を任命するの?
A: 実際的な理由としてはしばしば見られるのは、政府が議会の支持を失ったけれども、種々の理由(法的、実利的、または政治的な理由)から、新しい選挙を行う時期ではないという理由からだ。議会内の政党間で通常の政府を発足させるための合意ができない場合、政党は一時的にテクノクラート政府への支持を合意できる場合がある。ただ次の選挙までの時間稼ぎため、テクノクラート政府が特別に短期間に任命されるときには、"暫定政府(Caretaker Government)"とも呼ばれる。
事態を一層こんがらがったものにしているのは、超党派の暫定政府が存在する可能性もあり(これが基本的に現在スロバニアで起こっていることだ)、その場合にはこの政府はテクノクラート政府ではなく、代わりにしばしばレイムダック政府と呼ばれる。

Q: This is not quite the story in Greece and Italy, is it?
A: Well, we'll see if they turn out to be caretaker governments as well, but, no, that's not the idea behind the Greek and Italian technocratic governments. For now, these are cases of technocratic governments that are simply given a mandate to rule like any other government in a parliamentary system. So as long as they can continue to enjoy the support of their respective parliaments, they can stay in office.
(訳)
Q: それはギリシャやイタリアでの話とは違うよね?
A: うーん。これらの政府はもしかしたら暫定政府にもなるかもしれないけど、確かに違う。これはギリシャやイタリアのテクノクラート政府の背後にある考え方でなない。今のところこれらのテクノクラート政府のケースでは、政府は議院内閣制のもとでのほかの政府と同様に指揮をおこなうための権限を与えられている。これらの政府がそれぞれの議会の支持を得続けられる限りにおいて、政府は政権を担うことができる。

Q: So why would elected politicians ever turn over power to unelected technocrats? Doesn't that go against the grain of everything we think we know about politicians: that they are above all else interested in holding elected office?
A: This brings us to the crux of the matter in terms of current developments. What seems to be going on is that a "received wisdom" is developing that only technocratic governments can carry out the "painful reforms necessary" to save Country X. The theory here is that no major party is going to want to pay the costs of instituting painful policies alone. If this is the case, then one way around this predicament is to appoint a technocratic government that is not "of" any party but is supported by all the parties. In this way, blame can essentially be shared, and government can do the right thing, whatever that may be.
(訳)
Q: そうだとしたら、どうして選挙によって選ばれた政治家が選挙を経ていないテクノクラートに権限を譲るの?それって、我々が知ってると思っている政治家の気性に反してない?彼らはなによりも政権を担うことに関心があるんでしょ?
A: その質問は、目下進展中の事態の核心をつくものだ。現在起こっているように見えるのは、「テクノクラート政府のみが国家Xを救うために必要な痛みを伴う改革を遂行することができる」という"公認された考え"が発展しつつあるということだ。ここでの理論としては、どの主要な政党も、痛みをともなう政策を策定することに伴うコストを単独では支払いたがらないということだ。もしこれが正しいとすると、この苦境を回避するための解決策は、どの政党にも属してもいないが、すべての政党から支持を集めるテクノクラート政府を任命するということだ。これによって、責任は基本的にシェアされ、政府は正しいことを行うことができる、それがどんなことであろうと。

Q: Does it work?
A: I really don't know, but there are good reasons to be skeptical. First, politicians are not particularly good at "sharing blame", which will make the temptation for any of a number of major parties to undercut the technocratic government for political gain omnipresent. Second, even if mainstream parties get behind a technocratic government, that doesn't mean extremist parties will as well. Indeed, a technocratic government supported by all of the mainstream parties seems to me a perfect recipe for the rise of non-mainstream parties. (....) 
(訳)
Q:それってうまくいくの?
A: 正直よくわからない。でも、懐疑的になるのに十分な理由がある。第一に、政治家は"共同で責任を負うこと"が得意ではない。これは複数の主要政党に、眼前にある政治的な得点を得るためテクノクラート政府を非難しようという誘惑を与える。第二に、主流の政党がテクノクラート政府を後援したとしても、それは極右や極左政党もそうすることを意味するわけじゃない。実際のところ私には、主流の政党からの後援を受けたテクノクラート政府は、非主流の政党が浮上する最上のレシピのように見える。(略)

Q: OK, but even with those caveats, technocratic government still sounds pretty good! Why doesn't everyone have one?
A: Well, there is this one minor problem, which is that in democracies people are supposed to elect their rulers. Since, by definition, a technocratic government does not run for office, it is sort of hard to call a country with a permanent technocratic government a democracy. (.....)
(訳)
Q: OK、でもそういう警句付きであったとしても、テクノクラート政府はとってもいいもののような気がするよ! なんでみんなこれを持たないの?
A: うーん。一つマイナーな問題がある。それはつまり、民主主義においては人々は自分たちの指導者を選挙で選ぶものとされているんだ。定義的にテクノクラート政府は選挙に立候補した人達でつくられるわけではないから、恒久的にテクノクラート政府をもつ国を民主国家というのはすこし難しいんだ。(略)

Q: Could the presence of technocratic governments in Greece and Italy embolden the Egyptian military (or future would-be democratisers in the Middle East and North Africa) to avoid democratic elections in favor of a "government of experts"?
A:  Hmm...
(訳)
Q: ギリシャやイタリアのテクノクラート政府の存在は、エジプトの軍隊(または中東と北アフリカにおける将来の民主化要求勢力)が"エキスパートで構成される政府"への好みのもとに民主的な選挙を敬遠することを助長させるんじゃない?
A: うーーーん。

Q: Bottom line: will technocratic governments save Europe?
A: They may make it possible for certain policies to be implemented in the short-term. But Europe's longer-term problems are going to need to be solved (or not be solved) by Europe's elected officials. Democracy is about accountability. While it may be possible to duck accountability in the short run, long-term policies are going to have been enacted - or at the very least maintained - by elected officials.  These technocratic governments might turn out to be quick fixes for short-term problems; it would likely be a mistake to assume they will be anything more than that.
(訳)
Q: 結論として、テクノクラート政府はヨーロッパを救うの?
A: 短期的にはこれらの政府は特定の政策を施行することができるかもしれない。でも、ヨーロッパの長期的な問題は、ヨーロッパの選挙によって選ばれた当局者によって解決(もしくは、解決されないか)されなければならないだろう。デモクラシーには説明責任が必要だ。短期的に説明責任を逃れることは可能かもしれないけど、長期的な政策は選挙で選ばれた当局者によって制定され、少なくとも維持管理はされなければならない。テクノクラート政府は短期的な問題への応急処置にはなるかもしれないけど、それ以上のことを期待するのは間違いのように思うよ。

2011年11月19日土曜日

政治を馬鹿にしてると・・・

以前知り合いから教えられた警句(?):
政治を馬鹿にしてると、政治もあなたを馬鹿にしだす

2011年11月16日水曜日

織田信長と南蛮美術

少し前だが、サントリー美術館で現在開催されている「南蛮美術の光と影」展に行ってきた。これが大変面白かったので、以下に絵をみて考えたことを当時の時代背景とあわせて書いてみる。
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2つの世界】
1549年にザビエルが鹿児島に着いた時、日本は戦国時代だった。期間の区切りは色々だが、1467年の応仁の乱から1568年に織田信長が京都に上洛するまでの約100年間は大まかに戦国時代とよばれる。この時代、日本各地には小領主としての戦国大名が乱立し、他国との戦争や領内の権力闘争にあけくれた。親が子供を、時には子が親を殺した。領主が部下を殺し、部下が領主を殺した。ある領主が他の地方を滅ぼし、その地方の領主から部下にいたるまで皆殺しにした。農民は領主の意のままに斬られた。領主につかえる武士も同様である。頻繁な飢饉によって餓死が発生した。飢饉がおこらなくても大人も子供も男も女も死んだ。異常気象が毎年のようにおこったという説もある。庶民の生活が悲惨なものだったことは間違いない。こんな時代の末期、海を越え、日本にキリスト教の宣教師がやってきた。

宣教師たちには、この時代の日本にやってくる理由があった。

16世紀はルネサンスと宗教改革によりヨーロッパ社会に大激変が訪れ、民衆の統治原理として宗教に代わり王権の地位が台頭した時代だったが、この時代以前のヨーロッパでは、国境による文化や経済の区切りはまだ非常に曖昧だった。人はカトリックの神の下にあり、国籍とそれを背景とする国家は現在ほど強く意識されなかった。各地には貴族が群居していた。王はいたがせいぜい諸侯の筆頭くらいの地位だった。そのようななかでヨーロッパの人々が仰ぎ見たのはヨーロッパの普遍宗教であるカトリックであり、その頂点に位置するローマ教皇庁だった。キリスト教の一教派であるカトリックは、はるか昔(313年の皇帝コンスタンティヌスによるキリスト教の公認)から約1200年もヨーロッパの普遍宗教だった。
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16世紀から少し時代をさかのぼるが、カトリックの権勢拡大について少しだけ。13世紀にローマに教皇庁を移したボニファティウス8世(1234-1303)は罪の救済を約束する免罪符(天国にいったさいに救済される)を売りに出し、教会はそのお金で土地を買い領地を広げた。この教皇以後ローマ教皇庁は世俗的な権力を拡大していき、地上の皇帝にも喩えられるようになった。あるときこの教皇の部下が「神聖ローマ帝国皇帝のドイツ皇帝が」といいかけたさいにこの教皇が「私が皇帝である。」と述べたという逸話がある。この教皇はフィレンツェに共和制の思潮が起こったさいこれを禁じるためフィレンツェを弾圧し、ダンテはそれを生涯にわたって批判している(ダンテはフィレンツェ出身)。

こうしてローマ教会の権勢は拡大をつづけたが、それとともにカトリックの堕落を指摘する声(「キリスト教はローマに近づくほど堕落する」)も挙がるようになる。1517年ドイツのマルティン・ルターがはじめたプロテスタント運動は地上世界を差配するものとしてのカトリックの堕落を痛烈に批判し、16世紀後半から17世紀前半にかけてカトリック陣営とプロテスタント陣営の間のヨーロッパを二分した大戦争がおこった。ここから教会の権力が及ばない場所としての国民国家が成立してくる。

そして、プロテスタントの抗議に対してカトリック内部からも教会を刷新しようとする動きが現れる。この結果カトリックの内部でイグナチヨ・デ・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル等が1534年に結成したイエズス会の地位が上昇した。イエズス会の理念は、ちょうど大航海時代に入っていたヨーロッパの潮流に対応するように、ヨーロッパを超えた世界への布教であり「世界のどこへでも、もっとも困難な、異教の地にこそ」布教をおこなうことを目的に掲げていた。会の中心であったロヨラやザビエルが大航海時代を先導したスペイン出身であったことは象徴的である。そして教皇への絶対的な忠誠を教義として掲げ、世界布教を志向したこの会を、当時の教皇パウルス三世は公認し、支持した。カトリックが宗教戦争によりヨーロッパで失った領土と神の栄光の回復を果たすため、イエズス会は大航海時代の海に乗り出し、ザビエルは1549年日本に辿り着いた。ちなみに今回の展示にはザビエルの有名な肖像画(↓)も含まれていた。
【織田信長と宣教師】
当時混乱の極みにあった日本にたどりついたイエズス会宣教師たちが布教したキリスト教は、爆発的に拡大した。「伝道後数十年にして信者が九州の全人口の30%を超える30万人を超した」(「クワトロ・ラガッツィ」)。この布教には織田信長という一人の特異な人物の庇護が大きな役割を果たした。この時代の日本のキリスト教は織田信長とともに興隆し、その死とともに未来を絶たれた。

ルイス・フロイスは1549年に堺で信長に出会い、その後何度も信長と会見しており、信長についての記録(「フロイス日本史」)を残している。
「中背痩躯で、髪は少なく、声ははなはだ快調、きわめて戦争を好み、武芸に専心し、名誉心強く、義に厳しい。」  
「部下の進言にほとんど左右されることがなく、全然ないといってよい。皆から極度に恐れられ、尊敬されていた。」   
「酒を飲まない。食事も適度、行動を何物にも拘束されない、その見解は尊大不遜」 
「彼にはかつて当主国を支配した者にはほとんど見られなかった特別な一事があった。それは日本の偶像である神や仏に対する葬式や信心をいっさい無視したことである。」(「フロイス日本史2,3」)
戦争好きで残忍な癇癪持ちであり、部下の意見など一切考慮しなかった尊大不遜な信長は、キリストの神も日本の仏も信じていなかったにもかかわらずキリスト教を庇護し、布教の自由を与えた。
「仏僧の大敵であるこの残忍な君主が、神、仏、その他日本のすべての宗派に対し我らが反対の教えを説いていることを承知しているとはいえ、我らに対してはいとも大度に親切に振る舞っているのははなはだ注目すべきことである。」(「フロイス日本史3」)
信長は自身が構想し、建設していた安土城(場所は現在の滋賀県)の城下町に、キリスト教会を建設する許可を与えた。信長公記の解説によると、信長はこの安土城下の城下町を保護するため、近代の都市計画に極めて近い性格を持った十三条の掟書という「都市法」をつくり、高利貸業者や関連する都市の商工業者を保護したそうだ。そして、「信長は安土にいかなる宗教施設も建立させなかったにもかかわらず、キリスト教会と住院の建立だけを許可し、しかも、城山のふもとに建てることを許可した」(「クワトロラガッツィ」)。後に火災により安土城とともに焼けてしまったこの教会は「信長の屋敷についで安土でもっとも豪華」だったそうだ。焼けてしまったこの安土城とその城下が、本当はどのような姿であったのか現在に至るまで正確にはわかっていない。実は信長は当時の狩野永徳に、この安土城とその城下を描写した屏風を作成させ、それをローマ教皇へ送っている。屏風の存在自体はローマ教皇庁で確認されているが、現在に至るまでその屏風はバチカンで見つかっていない(以下は想像で描かれたレプリカ)。
イエズス会は信長の庇護をうけて勢力を拡大したが、イエズス会のフロイスでさえ信長を帰依させることができるとは思っていなかった。フロイスは信長が自身を神であると述べたと書いている。
「彼は時には説教を聴くこともあり、その内容は彼の心に迫ることがあって、内心、その真実性を疑わなかったが、彼を支配していた傲慢さと尊大さは非常のもので、そのため、この不幸にして哀れな人物は、途方もない狂気と盲目に陥り、自らに優る宇宙の主なる造物主は存在しないと述べ、彼の家臣らが明言したように、彼自身が地上で礼拝されることを望み、彼、すなわち信長以外に礼拝に値する者は誰もいないと思うに至った。」(「フロイス日本史3」)
自身を神といってのける「傲慢」は、神の従順な使途であり、その布教のために一生を捧げていたフロイスには到底受け入れられなかっただろう。

フロイスの日本史に描かれる信長は、仏僧を含む敵に対し残忍な大量虐殺を行う一方、近代的な統治者としての政治家/経営者の顔も併せ持っている。
「今まで彼は神や仏に一片の信心すらも持ち合わせていないばかりか、仏僧らの苛酷な敵であり、迫害者をもって任じ、その治世中、多数の重立った寺院を破壊し、大勢の仏像を殺戮し、なお毎日多くの酷い仕打ちを加え、彼らに接することを欲せずに迫害を続けるので、そのすべての宗派の者どもは意気消沈していた。」 
「彼は都から安土まで道路を作ったが、それは十四里ほどあり、庭地のように平坦であって、道路にあたる岩山や険しい山地を切り開いたのである。(略)またすべての通行人が足を濡らさずに通れるように、巨大で、かつ高度の技術を必要とする橋梁が渡された。このような道路は、征服された諸国に、都合がつくかぎり建設された。(略)彼が統治し始めるまでは、道路には強権が発動され、また強制的に課税されていたが、彼はすべてを解放し、何ら税金を支払わなくてよいようにしたので、庶民の心をいっそう把握することになった」(フロイス日本史3) 
イエズス会の日本における布教は、信長の人生の絶頂期でもある1570年代の後半から明智光秀による暗殺(1582年)と期を一にして絶頂をむかえ、信長の死とともに終わった。信長の最後について信長公記には以下のようにある。
信長初めには御弓を取合ひ、二・三つ遊ばし侯へば、何れも時刻到来候て、御弓の絃切れ、其後御鑓にて御戦ひなされ、御肘に鑓疵を被られ引退き、是迄御そばに女共付きそひて居り申し候を、女はくるしからず、急ぎ罷出でよと仰せられ、追出させられ、既に御殿に火を懸け焼来り候。御姿を御見せ有間敷と思食され候歟、殿中奥深く入り給い、内よりも御南戸の口を引立て無情御腹めされ、(「信長公器」)
美術史家の若桑みどりは信長のキリスト教庇護について、信長はアジアを征服し、「世界帝国の王」となることを考えており、キリスト教の庇護は彼のアジア征服構想と直結していたのではないか、と述べている。
「自分がキリスト教を保護する日本国の国王となり、かつ東アジアの帝国の王となることは、スペイン・ポルトガル王がやっていることとまったく同じである。その国際事情を彼は足しげく安土の教会に通って神父から聞いていた。フロイスは信長について「恐ろしいまでに傲岸不遜」と書いている。その目が世界を見ているのならば、これほど傲岸不遜なことはない。もはやどのような同時代人とも同じ次元にいないのである。」(「クワトロ・ラガッツィ」)
南蛮美術は、このような壮大な構想と特異な個性を併せもつ一人の戦国大名と、自らの教義の危機に瀕しながら大航海時代の海に乗り出した宣教師たちとの出会いが生み出した美術である。
「以前から私は、南蛮図のなかでも非常に有名な「泰西王侯図」や「世界都市図」などを信長マインドなジャンルだと思っている。(略)これらの絵の発想は鎖国以前のものであり、とくに織田時代のものである。(略)同じころに制作された世界地図屏風とともに、日本絵画史のなかでもたいへんに特異なこの一群の異国図は、島国日本が世界を認識したある光彩に満ちた短い時期の貴重な記憶である。」(「クアトロ・ラガッツィ」)
【南蛮美術ともう一つの日本】
南蛮美術の前にたつと「信長が死ななかった日本」について考える。信長が本当に「世界の王」になろうとしたのならば、彼は中国や東アジアで本格的な戦争を引き起こしただろうし、そうなったさいの日本が、今日ある日本であったという保証はどこにもないが、「信長が死ななかった日本」は、秀吉から家康に引き継がれ徳川時代に完成した、洗練されてはいるが同時に閉塞したそれとはまったく違ったものであったはずだ*。そしてそのような日本が実現していたのならば、現代日本もまったく違ったものになっていた。南蛮美術はそのもう一つの日本の姿を垣間見せてくれる。
*信長死後、当初宣教師に寛大であった秀吉は徐々にキリスト教徒への迫害を強め、1587年にバテレン追放令、1597年26人の信者の長崎での処刑を行った。秀吉以後徳川時代には1639年鎖国令がだされ、日本での布教は禁止、信徒の改宗が強制された。

イエズス会が日本に辿りつき、彼らの布教が信長の庇護をうけ発展し南蛮美術が作成されたこの短い時間は、日本美術史上おそらく唯一無二であり、その後決して訪れることがなかった特殊な時間であった。

西洋が次に日本の前に現れるのは明治だった。明治日本にとっての西洋は圧倒的武力を背景にした畏怖すべき侵入者であり、明治の西洋画家たちにとっては西洋絵画は、黒船の武力を背景にした学ぶべきものであった。彼らは富国強兵を掲げる若い明治国家の要請を感じつつ「学ぶもの」として、西洋と対峙しなければならなかった。加えてこれらの画家たちは近代絵画について回る問題にも直面しなければならなかった。神や王に捧げられることで自身の位置を定められていた近代以前の絵画と異なり、近代絵画の画家たちは、自身の絵画の価値を自身で証し立て、主張するため、外部にある規範(神)ではなく、自身の内部を覗き込み「この絵には何の意味があるのか」と問わなければならない。

けれど「初期洋風画(南蛮美術の別称)」の作者達には、明治以降の画家が直面したこれらの問題は無縁だった。彼らは画家ではなく、むしろ職人だった。「南蛮」や「紅毛」という語自体が指し示すように、この時代の人々にとって西洋は仰ぎ見る対象ではなく、「海の向こうから来た変わったお客さん」だったはずだ。だから南蛮美術に向かうと、この時代の職人たちの、自身の腕前に裏付けられた陽気さ(「何か変わった奴らが遠くから来て、注文がきたから、こいつらにあわせた物をつくってやろう」とでもいうような)と、海の向こうから訪れた相手へのあくまでも対等な視線が感じられる。そして同時に南蛮美術には、異国から来た船により広がった地平線と、その果てにある異国に対峙した当時の日本人の高揚感が溢れている。この高揚感はすぐ後で秀吉と家康の手によって日本の地からかき消され、明治時代には畏怖に姿を変えて現れるだろう。

以下の南蛮屏風に描かれた人々の顔には、警戒心とともにそのような好奇心がはっきりと描かれている。

世界地図・万国人物図屏風。右側には日本人と並行して多種多様な人種が描かれ、地図上にはたくさんの船がとても楽しそうに浮かんでいて、当時の日本人が世界へ向けた、高揚した視線が感じられる。

四都図・世界図屏風。想像上のリスボン・セビリア・ローマ・イスタンブールを並べ、その上に当時の人々の姿(想像図)を描いた、この極めて特異な絵からは、この時代の日本人の想像力がしっかりと世界に向けて開かれていたことがはっきりとわかる。

泰西王侯騎馬図屏風。実際に前にたつと、この屏風は、とても、とても、大きい。信長公記の解説で岩沢愿彦は「信長時代の文化は、雄大な規模をもち、豪壮・絢爛たる様式を備えていた。」と書いているが、この屏風はその文化の最たるものだろう。ここでの人物の顔の描かれ方やその構図は他の時代の日本美術とは、はっきりと違う。橋本治は「カッコいい」絵と呼んでいるのだが、私もこの表現に同意するとともに、信長が生きていたら、ここに自身を並んで描かせたのではないか、と思ってしまう。

繰り返しになるが、近代が日本に訪れる前、「帝国の王」となることを目指した男の庇護をうけ、南蛮美術が花開いたこの時間は日本美術と西洋とのかかわりにおいて唯一無二の時間だった。

そして私は、そのような時間につくられた作品群がこのように陽気で、自信に満ち、豪勢で、開放的なものであったことを、とてもうれしく思った。
*******
上を書くに当たって、若桑みどり 「クワトロ・ラガッツィ」、堀田善衛「次代と人間」、ルイス・フロイス「フロイス日本史」、奥野高広・岩沢彦校注「信長公記」を参考にしました。

2011年11月14日月曜日

EUのトリレンマ?

今週のThe Economistの特集はヨーロッパの未来についてだが、私がこの問題について考えるさいには、いつもハーバード大学の経済学者であるロドリック(Dani Rodrik)が2007年に示したトリレンマが思い浮かぶ。彼の意見は明快で、以下の図のとおり。

ロドリックによると、上の3つの四角にある「(国境を越えた深いレベルの)経済統合」と「主権国家の自由な主権行使」と「民主主義制度」を同時に満たすことはできない。例えば経済統合を貫徹しようとすると、主権国家が民主主義制度を通じて課す各国固有の規制と、経済の論理との間で不整合がおこる。

この場合取りうる選択肢は上で示されているように以下の3つ。
  1. 経済統合+主権国家/経済の論理による国家統治:経済統合の深化を推進するため、そのために不都合となる規制等を改変・撤廃する方向で主権国家内の制度の再編がおこるが(経済の論理が民主主義に優先される)
  2. 経済統合+民主主義/世界連邦:これは主権国家の枠をとりはらって民主主義+経済統合をすすめる方向でいわゆる「世界連邦?」。ただし、ロドリック自身もこの方向は現実的ではないとしている
  3. 主権国家+民主主義/ブレトンウッズ的なシステム:第二次世界大戦以降戦後の1970年代まで先進国が採用していたブレトン・ウッズシステムのもとでは資本の移動に代表される経済面での統合が極めて制限されていたため主権国家と民主主義の両立が可能だった
国境を越えて国家間の経済統合を進める場合、(バラ色の未来だけではなく)諦めなくてはならない可能性のある事項を考えるうえで面白い指摘。

EUのそもそもの母体は欧州石炭鉄鋼共同体を基礎とした経済統合を推進する組織がベースだったが、主権国家の権力をどこまで制限するのかを曖昧にしたまま、この母体を拡大しようとしたため、構成する主権国家の思惑が異なった場合の意思決定/調整手段に四苦八苦している、というのが今のところか?

そのうえで現状EUは、2.の主権国家の権利を制限する形でのユーロ圏の経済統合+民主主義の深化か、3.の主権国家+民主主義を基礎にした経済統合の抑制/解体に進もうとしているのかを選択する岐路にたっているのかな?