2011年12月30日金曜日

ノルウェー首相のスピーチ⑤ ケーキを焼き連帯する

今回は最後として8月21日の国家追悼式典での首相スピーチ(原文はここ)。
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スピーチでも強調されるが、ノルウェーは自国のデモクラシーに自信と誇りをもっている。これは単に自分自身で誇っているだけではなく、外部機関の評価でもノルウェーのデモクラシーは高い評価をうけている。例としてThe Economistが選ぶ2011年のデモクラシーインデックスではトップである。ノルウェーは2010年もトップであった。日本は2011年は21位で"Full democracy"の中では下から5番目であり、コスタリカ(20位)と韓国(22位)の間に位置している。

それと同時にノルウェーのデモクラシーも多くの問題を抱えていることを指摘されており、議会から附託を受けた研究者による2003年のレポート(The Norwegian Study on Power and Democracy, English Summary, 2003)はノルウェーの"デモクラシーの衰退"を以下の要因によるものとしている。
  • 国民の政治参加の低下
  • 政党の断片化(fragmentation)と少数与党からなる政府
  • 政党間の差異の消滅と地方政府の弱体化に起因する政治の国民からの乖離(代表制民主主義の衰退)
  • 潤沢な石油資源が少数の民間セクターに集中することによるデモクラシーをもとにした所得再分配機能の低下
  • 市場経済の拡大とともに進行する民間企業への権力の集中とそれに反比例した議会の権力の低下
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国家追悼式における首相スピーチ 2011年8月22日
イェンス・ストルテンベルグ ノルウェー首相

陛下、殿下、
紳士淑女の皆様、
そして皆さん、

今日我々は亡くなった方を思い出すため時計を止めています。
我々は一つの国としてそうしています。
我々はともに失うはずのなかった、そして失うべきではなかったものを失いました。77の命を失ったのです。
我々はともに憎悪に打ち勝ちました。
我々はともに開放性、寛容さ、そして連帯感を尊重しています。

我々は墓地で最後のお別れをいわなければならなかった方々とともに泣きました。
我々はあの暗黒の金曜日の、光景、音、そして匂いを忘れることのできない方々とともに追悼を行います。

我々は命を救った方々に感謝します。
痛みをやわらげてくれた方々にも。

すべてのキャンドルに灯がともりました。
すべての考えは慰めを見出しました。
すべてのバラは希望を与えました。

我々は小さな国家です。しかし誇りある国民です。

我々はともに、多くの疑問を抱えています。
我々はともに、誠実な答えを探しています。
犯人以外の人を責めるのではなく、知り、学び、そして前進しましょう。
打ち砕かれた人々のためにも、我々は前へ進まなくてはなりません。
それはまた、意見の不一致も意味します。
日々の暮らしのなかでの、差異や意見の相違が我々をまっています。
様々な差異と多様さ。
我々はそれを歓迎します。

我々はこれらの課題に対して、722日の事件の中で我々が経験した連帯の精神で臨まなくてはなりません。

はじめに、ようやく嘆きの道から歩きだしたばかりの人々を気にかけなくてはなりません。

あのような形で愛するものを亡くした方の嘆きの深さを本当に理解することは難しいことです。

日曜日の夕食のさいの空いた椅子
誕生日を迎える子供を欠いた誕生日
最初のクリスマス

あなた方は助けの手を差し伸べられます。
ケーキを焼きましょう。コーヒーに誰かを招きましょう。一緒に散歩をしましょう。
親切さは我々が持つ最高の資産です。

2番目の仕事は過激な思想や行動を示す徴候に対し、注意深くあることです。

我々は若者から学ばなくてはなりません。
我々は憎悪に対して議論によって対抗しなければなりません。

我々は道に迷って途方にくれてしまったものを招き入れなくてはなりません。
我々は暴力を使いたがるものに対して反対しなければなりません。
我々はそのような者たちに対してはデモクラシーが与えるすべての武器で対峙しなくてはなりません。
我々はそのような者たちにあらゆる場所で対峙しなければなりません。

3番目の仕事は安全と安心感をつくりだすことです。
よき準備は安心感をつくりだします。
路に立つ警官は安心感をつくりだします。
コントロール、訓練、装備
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我々はこれらすべてを行わなくてはなりません。
しかし、我々にはより一層重要なものが必要なのです。
我々にはあなたが必要なのです。

あなたがどこに住もうとも
あなたがどんな神を信じようとも

我々一人一人は皆、責任を負えるのです
我々一人一人は皆、我々の自由を守ることができるのです

我々はともに連帯とデモクラシーと安全さと安心感により壊すことのできない鎖をつくります。

これが暴力に対する我々の防壁なのです。

2011年12月28日水曜日

ノルウェー首相のスピーチ④ 政治が約束すること

今回は2011年8月1日に議会で行われた追悼式のさいの首相スピーチ(原文はここ)
         出所: BBC
ノルウェーの政治制度は立憲君主制である。君主の地位は象徴的なもので、実質的な行政は議会によって選ばれた内閣が行う。議会は二院制だが、実質的には一院制とされる。議会は法律の制定と国家予算の承認、内閣の監視等を行う。

2005年10月に行われた選挙により、議会の中での最大勢力は左派の労働党(Labor Party)であり、169議席中64議席(37.9%)を占めている。労働党はSocialist Left Party、Center Partyと連立することで議会内のマジョリティ(87/169)を握っているノルウェーの行政区分は19の県と400以上の市町村に分かれている。
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ノルウェーは現在EUのメンバーではない。1972年と1994年にEUへの加盟についての国民投票が行われたがEUへの加盟は否決されている。なお国防に関しノルウェーでは19-44歳の男子に徴兵義務がある(ソース
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ノルウェー議会の追悼式での首相スピーチ 2011年8月1日
イェンス・ストルテンベルグ ノルウェー首相

陛下、殿下、大統領閣下、
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722日、ノルウェー国民は究極の試練にさらされました。
我々の地図は引き裂かれました。
コンパスは撃たれ粉々になりました。
我々一人一人が皆、ショックと恐怖と破壊の中、進む道を見出さなくてはなりませんでした。
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その選択はひどく間違ったものとなりえたかもしれません。
我々は道に迷っていたかもしれません。
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しかし、ノルウェーの人々は自身の道を見出しました。
暗闇と不確かさのなかからノルウェーに帰る道を見出したのです。
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今日私はこのことに対して感謝をしたいと思います。
我々はいまだ悲嘆のなかにいる国です。
我々はウトヤ島と政府市庁舎で亡くなった方々を埋葬しています。
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両親は病院のベッドの傍らに腰かけています。
多くの人々が悲嘆に暮れています。
我々のハートは悲痛に暮れています。
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嘆き悲しむ人々を慰め続けるましょう。
苦しんでいる人々を気にかけてください。
死者を悼みましょう。

しかしながら、また私は皆さんにお礼を言いいたいとも思います
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国王陛下、皇太子殿下、そしてロイヤルファミリーの皆様が示された暖かさと思いやりに感謝したいと思います。
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危機の最中国家が団結する必要があったとき、ノルウェー議会が示した結束する意思と能力に感謝したいと思います。
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我々が感謝するべき方々はまだたくさんいます。
警察官。
消防士とレスキューサービス。
医療関係に従事した方々。
軍事関係の方々。
市民護衛団。
ノルウェー教会そしてほかの宗教と信仰にもとづいたコミュニティー。
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ボランティア組織。
政府市庁舎とウトヤ島でかけがいのない援助を行ったボランティアの方々。
被害をうけた省庁の職員。
Sundvoldenホテルのスタッフ。
Tyrifjorden湖の近くにいて勇気ある行動をしたすべての人々。
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彼らの多くは自身の命を危険にさらしました。
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821日の日曜日、我々は国家追悼式で直接被害にあわれたすべての方、そして救いの手を差し伸べたすべての方の勇気に敬意を表するでしょう。
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私はまた世界中から届いた親切な言葉と弔慰に対して感謝したいと思います。
それらは手紙で、花で、そしてFacebookやその他のソーシャルメディアを経由したメッセージで届きました。
我々は孤独ではないと感じました。これは我々に力を与えてくれました。
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しかし私が最も感謝を述べたいのはノルウェーの人々です。
ノルウェーの人々は最も必要とされるとき、その責任を果たしました。
人間としての品位を保ち続けました。
デモクラシーを選択しました。
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なかでも若者は最も大きな称賛を得るに値します。
労働党青年支部は銃火を浴びました。
けれど、全世代が結集し、悲痛な抗議に参加したのです。
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722日の世代は我々のヒーローであり、希望です。
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これは我々が、我々の根本である価値観への信頼を新たにし、将来を期待することができるということです。
加えて、まっとうな対話とより一層の寛容への人々のコミットメントが育ち続ける、という希望に溢れた将来を期待することができるということでもあります。

この追悼に臨むにあたり、我々の多くは立ち止まり、自身の立つ位置を考えます。
考えと言葉を反芻します。
722日の悲劇の後で振り返ると、我々は自身の意見を違った形で表現すべきだったと気付くこともあるでしょう。
そして我々はこれからは自身の言葉をより注意深く選択するでしょう。

しかし私は人々に魔女狩りを始めないよう、言われるべきでなかったことを探したりしないようお願いしたいと思います。
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我々はあの非現実的な時期に、特別な連帯を示しました。今我々は今後もお互いによき意図をもって接し続けなくてはなりません。
我々はこの悲劇から何かを学ぶことができます。
我々が皆、「私は間違っていた」と述べることが必要なのかもしれません。そのようなさい我々は尊敬をもってお互いに向かい合うべきです。
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これは日々の会話でも公の議論でも同様です。
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これは政治家にも編集者にもあてはまります。
これは食堂でもインターネットの上でも当てはまります。
これは我々すべてに当てはまるのです。
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我々は政治家として、我々が日々の仕事を再開するにあたり、722日の精神を保ち続けることを約束します。
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ノルウェーの人々が示したのと同様の知恵と尊敬を示し続けます。
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言論の自由を武器とし、議会に伝わる最良の伝統を受け継いで、我々は人間の尊厳と安心感は恐怖と憎悪に打ち勝つ、ということを守り続けます。

我々はこれをノルウェーの人々に負っているのです。

2011年12月26日月曜日

ノルウェー首相のスピーチ③ "我々"の多様性

以下は2011年7月29日での首相のCentral Jamaat Mosqueでのスピーチ(原文はここ)。

ノルウェーの国教は福音ルーテル派に基づくプロテスタントの国教会で国民の88%が所属する。約6%が他の宗教(イスラム教の信徒は約1%,6万人)に属し、その他の6%はどの宗教にも属していない(ソース)。
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ノルウェーは多くの移民を受け入れており、現在の移民数(移民の子供含む)は国民人口の約12%の約60万人に達する。移民の内訳は約29万人がヨーロッパ、21万人がアジア、7.4万人がアフリカ、1.9万人がラテン・アメリカ、1.1万人が北米・オセアニアの出身であり、出身国別でみると、ポーランド、スウェーデン、ドイツ、イラクが多い(ソース)。
出所: Statistics Norway
なお事件の発生直後、犯人はイスラムのテロリストではないかという憶測がWeb上で多く流れた
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Central Jamaat Mosqueでの首相スピーチ 2011年7月29日
イェンス・ストルテンベルグ ノルウェー首相

皆さん

本日、テロリストの攻撃による最初の犠牲者が2人亡くなりました。
一人はNesodden出身の18歳のBano Rashid です。彼女の家族は1996年にイラクから亡命してきました。彼らはノルウェーに安住の地を見出したのです。

Banoの学校での成績は優秀で、法律を学ぼうと考えていました。将来はノルウェー議会で活躍しようと夢見ていました。彼女の夢はウトヤ島で銃をもった男によって打ち砕かれました。私は彼女のご両親、BeyanMustafaに心からの賛辞を送りたいと思います。Beyanは新聞(Aftenposten)にこう言っています。
「我々の答えは憎しみではなく、一層の愛です。」
今日、彼女の家族はノルウェー式でありクルド式でもあるセレモニーの中でBanoに対して別れを告げました。
もう一人はHamar出身の19歳のIsmail Haji Ahmedです。Ismailは心の底からのダンサーであり、情熱的なダンスのインストラクターでした。彼はとても多くの人々に元気を与えました。そしてそれよりはるかに多くの人々に喜びをもたらしました。
私はBanoIsmailを悼みます。
彼らは新たに拡がった「ノルウェー人としての我々(We」という概念に一つの側面を与えました。
我々は将来にわたり一つのコミュニティーなのです。宗教、人種、性別、階層を超えて。

Banoはノルウェー人です。Ismailはノルウェー人です。私はノルウェー人です。

我々はノルウェー人なのです。そして私はそうであることに誇りを持っています。

私はまた、ノルウェー人がこの試練を乗り越えたことを誇りに思います。
我々のデモクラシーの核心が攻撃されたのです。
けれどこの攻撃は我々のデモクラシーを一層強固なものにしただけでした。
ショックと破壊は我々を団結させました。
後に、我々は一体になり抗議に参加しました。
我々はバラの花とトーチを手に街路に繰り出し、デモクラシーを守るために手を差し出しました。
私は全国民がノルウェー人である我々(we)”として一つになることを願っています。
今日の新聞はイマーム(注:イスラム教の指導者)と司教が抱き合っている写真を載せています。
これがインスピレーションの源であるべきです。

我々はみなノルウェー人なのです。
我々の根本にある価値はデモクラシーであり、思いやりであり、寛容さなのです。
これを土台にして、我々は互いの相違や人間としての尊厳や公平さを尊重するのです。そして我々同士を尊重するのです。我々は議論に臨みます。我々は議論を歓迎します。たとえ難しい議論であっても。
我々はお互いがノルウェー人としての“我々(we)”という根源にある価値を擁護することを期待します。
これがテロリズムと暴力に対しての我々の応答を深め、発展させるやり方なのです。
答えはより一層のデモクラシーです。より一層の思いやりです。
でもそれはナイーブさからきているわけではありません。

ノルウェーの歴史の次の章を書くのは我々なのす。
722日以前のノルウェーと以後のノルウェーが存在します。我々はもう道を切り開きました。ノルウェーが選ぶ道ははっきりと見えています。後は我々にかかっています。
この聖なる場所に立って、あらためてお互いの信仰を尊重することの重要さを思います。逆境に打ち勝ち、多様性が咲き誇り、その多様性がノルウェー人である我々(weの姿を彩らなければなりません。

これが、BanoIsmail、そしてウトヤ島とオスロの襲撃で死んだその他の人々の記憶を称える我々のやり方なのです。


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上と直接関係ないがNorman RockwellのThe Golden Ruleを載せてみた。
Norman Rockwell "The Golden Rule", 1961
"あなたが人にしてほしいことを、人に対してしてあげなさい"

2011年12月24日土曜日

ノルウェー首相のスピーチ② デモクラシーをより強固に

事件から4日後、7月26日(月)に首相はシティホール広場で2度目のスピーチをおこなった(原文はここ)。
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この日少なく見積もって15万人以上がシティホール広場(City Hall Square)に手にバラの花を持ちつめかけた。ノルウェーのほかの都市でも同様の行進が行われた(ソース)。

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ノルウェーの国民人口は約490万人で日本の県でいうと福岡県(約500万人)位。経済規模でいうとノルウェーと九州はほぼ等しい(以下参照)。
              出所: The Economist
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シティホールスクエア―での首相スピーチ 2011年7月26日
イェンス・ストルテンベルグ ノルウェー首相

みなさん、

なんという光景でしょう!
私は今国民の意思に正面から向き合っているのです。
あなた方は国民の意思です。
何千何万ものノルウェー人が、オスロでそして国中で、この夕べあなた方が行っているのと同じことをしているのです。
同じ断固としたメッセージを携え、街路や広場や公共の場所に繰り出しているのです―我々は打ちひしがれている、けれど打ち壊されてはいない。トーチとバラの花を掲げ、我々は世界にメッセージを送っているのです―我々は恐怖によって打ち壊されたりはしない。恐怖への恐れが我々を沈黙させることはない。

今日こうして目の前に見る人の波と国中の人々から寄せられる暖かさによって、私は自分が正しかったことを確信しました。
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ノルウェーはこの試練を乗り越えるでしょう。悪は個人を殺せるかもしれない、しかし全国民を打ち負かすことは決してできないのです。今晩、ノルウェーの国民は歴史を綴っています。この世で最も強力な武器、言論の自由とデモクラシーを持って、我々は2011722日以後のノルウェーが進むべき道を切り開いているのです。

722日以前のノルウェーと7月22日以後のノルウェーが存在します。けれどノルウェーがどのようになるかについて決めるのは我々なのです。

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ノルウェーの将来は明白です。我々の返答は、我々が通りぬけてきた数えきれない時間、昼、夜によって大きなものに育ち、この夕べを経ることでそれはさらに力強くなるのです。一層の寛容さ、一層の民主主義を、決意と力をもって。これが我々です。これがノルウェーなのです。我々は我々の安全を取り戻すのです。

オスロとウトヤ島の襲撃以来、我々はショックと絶望と嘆きによって団結してきました。そして我々はこれからもそうし続けるでしょう。けれど、我々の団結はこのような形からだけではなくなるでしょう。もうすぐ、我々のうち何人かが再び日々の暮らしに目を向けることができるようになるでしょう。まだ時間がかかる人もいるでしょう。この相違を尊重することが大事です。どのような嘆き方もすべて同様に正常なのです。

我々はこれからもお互いを気遣わなくてはなりません。我々が気にしている、ということを示さなければなりません。最もひどく打ちひしがれた方々に話しかけてください。人間としての同輩でいてください。ここに集まった我々から愛するものを失ったすべての方にメッセージがあります。我々は皆様のためにここにいます。

我々は2011722日以降のノルウェーにも関心を向けるでしょう。国中が悲しみにくれているなかで、あまりにも多くのそしてあまりにも断固とした結論を下さないように注意する必要があるでしょう。けれど、今晩お互いに誓い合うことのできる確かなことがあります。

第一に、この痛みのなか、何か貴重なものが根付いたのを垣間見ることができます。この夕べに我々が見ているものは第二次世界大戦以降、ノルウェーの国民が参加したなかで最も大規模で重要な行進かもしれません。デモクラシー、連帯、そして寛容のための行進です。

今この時、国中の人々が肩と肩をよせあい立っています。ここから学べることがあります。これをもっとつくりだしましょう。我々の一人一人が皆、デモクラシーの土台を少しづつ強いものにすることができるのです。これが我々がこの場で見ていることなのです。

第二に、ここに集まったすべての若者に伝えたいことがあります。ウトヤ島の殺戮は、世界をよりよい場所にする手伝いができるというあなた方の夢への攻撃でした。あなた方の夢は残酷にも打ち壊されました。しかしあなた方の夢はまだ実現できます。あなた方はこの夕べの精神を抱き続けることができます。あなた方は世界をよいものにできるのです。そうしなさい!

あなた方に簡単なリクエストをしたいと思います。政治に関わり続けなさい。他人を気遣いなさい。組織に加わりなさい。ディベートに加わりなさい。声をあげなさい。自由な選挙はデモクラシーの王冠です。それに参加することで、あなた方はデモクラシーに対してはっきりとしたYesを言うことになるのです。

最後ですが、私は、重大な時に直面したさい、デモクラシーを守るため、人々が花とキャンドルを手に取って通りに姿を現す国に住んでいることに心から感謝しています。

亡くなった人たちを褒め称えましょう。

これはNordahl Griegが正しかったことを示すでしょう。
「この国に住む人はとても少ないから、亡くなった人はみな兄弟であり友達だ」

2011722日以降のノルウェーを創り始めるにあたり、我々はこの精神を携えていくでしょう。
我々の父と母は我々にこう約束しました。
「再び49*が訪れることは決してない。」
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我々はこういいます。
「再び722日が訪れることは決してない。」

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*194049日から610日までノルウェーはドイツの占領下におかれた。

2011年12月22日木曜日

ノルウェー首相のスピーチ① 暴力を前に寛容を掲げる

2011年7月22日15時25分、ノルウェーの首都オスロの政府市庁舎近くで爆発がおこった。

爆弾は政府市庁舎の脇に停められていたフォルクスワーゲン・クラフターの中で爆発した。爆発により付近一帯はガラスの破片と瓦礫で満たされた。爆発音は7キロ離れた場所からも聴こえた。爆発とともに発生したかにより政府市庁舎の反対側にあった石油・エネルギー省も延焼した。
爆発で8人が死亡し、多数の負傷者がでた。負傷者のうち少なくとも10人以上は重症を負った。政府市庁舎の最上階には首相の執務室があったが、首相はその時間建物内におらず無事だった。

同日17時過ぎ、警官を偽装した男がウトヤ島に上陸し、労働党青年部(AUF)が催した政治集会に参加していた若者達に、オスロでの爆発事件をうけて見回りに来たといい、若者たちを自分の周りに集合させた。

若者達を集めた後、男は銃を向け発砲を開始した。男は逃げ惑う若者達に向けて銃を乱射し69人を殺害した。517人の生存者のうち、66人は負傷を負った。
銃を持った男は、「こちらへおいで。大事なお知らせがある。こちらへおいで。怖がることはないよ」と呼びかけてから、銃を乱射したという。引用元
それから彼は人々を追いかけてテントの中に入っていった。彼はテントのなかで撃ち続けた。どこにも隠れるところがなかった。20人か30人くらいが水の中で死んだ。撃たれた人を何人も見た。銃はとても強力だった。大きな水しぶきがたった。水の色は赤くなっていた(引用元)。
なお労働党の青年部は反レイシズムを明確に掲げ、メンバーの多くはノルウェーではマイノリティーの人種出身だった(引用元)。

事件による死者は総計で77名。負傷者は100名以上。第二次世界大戦以降ノルウェーで起こった最も悲惨な事件となった。
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他のヨーロッパ諸国と異なり、ノルウェーでは歴史的に極右の活動が盛んだったことはなく、近年においては2001年にネオナチのグループに所属する2人の少年がおこした殺人事件がほぼ唯一のものだった。
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犯人はアンネシュ・ブレイビクという当時32歳のノルウェー人だった。
            出所: The Gardian
事件直後の7月23日にThe GardianのPeter Beaumontはブレイビクの人物像について以下のように書いている
  • 多文化主義、左翼、イスラム教徒に深い憎悪を抱く極右のキリスト教原理主義者である
  • ノルウェーのオスロで育ち、ノルウェーの皇太子と同じ小学校に通っていた
  • 自身の10代について振り返って「ノルウェー人と移民との間で人種的な緊張」を感じていたと述べている
  • 1994年から2004年まで保守政党の青年支部に所属するメンバーであり、当時の彼を知る者は「(彼は)平穏で静かだった」と述べている
  • 彼は後にこの政党について「理想を掲げる立場をとる代わりに「多文化主義」と「ポリティカルコレクトネス」を容認している」、と非難している
  • 暴力的なビデオゲームを好み、しばしばミリタリーファッションをしていたことを隣人に目撃されている
  • カフカとジョージ・オーウェル(「1984」)を愛読していた
  • 自身のブログで「ノルウェーとスウェーデンでは極左のマルクス主義は日々受け入れられているが、愛国主義と文化的保守主義についての確立された真理は極右としてレッテルが貼られている」と述べている
  • 事件の5日前にTwitter上でジョン・ステュアート・ミルの「信念をもつ一人は利害関係にしか興味のない1,000人の力に匹敵する」という言葉を引用していた。
ブレイビクはこの犯行のために9年を費やしたとしており、最初の犯行の直前に1,500ページの文章「2083. A European Declaration of Independence」をインターネット上に発表している。彼はこの文書のなかでEUや国連を含む国際機関や自国のあらゆる政治家を痛罵し、自身をイスラム教徒の集団侵攻からヨーロッパ文明を取り戻す現代の十字軍であると述べている(ソースはここここ)。

The Gardianの11月25日付の記事によると、ブレイビクはウタヤ島で大量殺人を行った後、警察に電話をかけて「オペレーションを終えたので。。。。自首したい。」と自首を申し出て、SWATチームに逮捕された。

2度目の審問のなかで自身が起こした虐殺について「ノルウェーとヨーロッパを救うために必要だった。」、「あの虐殺はヨーロッパのイスラム教徒をパージし、多文化主義を戴く政治家を罰するための文化革命であった」と述べたとされる。

2011年11月29日の朝日新聞の記事によるとブレイビクは犯行時「被害妄想を伴う統合失調症」であり、罪を問える状態にないため今後隔離され精神病院内で治療される見込み。

ノルウェーは死刑を廃止しており、ブレイビクが正気であれば30年の刑期を務めることになるが、上記のように事件当時法的責任能力がなかったと判断され、隔離治療となった場合、今後3年ごとに行われる治療状況のレビューにおいて、担当医が患者の病状が治癒し、社会にとって害がないと判断すればブレイビクは早期に釈放される(ソース)。
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ノルウェーではこの事件をうけて保安上の攻撃に対する脆弱性を強化するための施策の必要性が唱えられており、首相のイェンス・ストルテンベルグはこの件を検討する委員会を設置した。
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これから何回かに分けてこの事件に対するノルウェー首相のスピーチを載せる。最初は事件の2日後7月24日に行われたもの(原文はここにあるので精確に理解したい方はこちらをご参照ください)。

このスピーチの段階では事件の全容は未だ把握されていなかった。
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イェンス・ストルテンベルグ ノルウェー首相

皆さん

ウタヤ島とオスロにおいてノルウェーが第二次世界大戦以降最悪の残虐行為に見舞われてからほぼ2日が経ちます。

まるで永遠のような時間です。

ショックと絶望と怒りと嘆きに満ちた時間であり、昼と夜でした。

今日は追悼のための日です。

今日は少し休むことにしましょう。

亡くなった人達を思い出しましょう。

もう我々の側にはいない人たちを追悼しましょう。

92人が亡くなりました。いまだに行方が分からない人もいます。

どの一人の死も悲劇です。すべてが積み重なると国家の悲劇です。

我々はまだこの悲劇の規模を把握できないでいます。

我々のうちの多くは亡くなった人たちを知っています。ただ単に知っているという以上の間柄でした。

私も何人かを知っていました。

モニカはそのなかの一人でした。彼女はウトヤ島で20何年か働いていました。我々の多くにとって彼女こそがウトヤ島でした。

彼女は死んでしまいました。国中から来ていた若者を治療し、保護しているさいに撃たれ殺されました。

彼女の夫のジョン、そして娘のビクトリアとヘレナは今日ドランメン教会にきています。

本当に理不尽なことです。我々がともに悲しんでいるということあなた方にお伝えしたい。

もう一人私が知っていたのはトレ・エイケランドです。

ホルダランド県内の労働党青年部のリーダーであり、最も才能に満ちた若い政治家の一人でした。

彼がEUによる郵便制度に関する指導に対し反対する感動的なスピーチを行い、議論に勝利し、労働党大会において賞賛を浴びたことを覚えています。

彼は今死んでしまいました。永遠に去ってしまいました。受け入れがたいことです。

これはまだ我々が失った中の二名にすぎません。

我々はもっとはるかに多くの人々をウトヤ島と政府官邸で失ったのです。

我々はまもなくその人々の名前と顔を知るでしょう。そして、この蛮行の全容が恐怖とともに明らかになるでしょう。

それは新しい試練となるでしょう。

しかし、我々はこの試練も乗り越えるでしょう。

この悲劇の只中にありながら、私は危機的な時において顔を上げ、上を向き続けた国に住んでいることを誇りに思います。

私はこのような事件のなかにおいてさえ出会うことができた尊厳と思いやりと決意に心を打たれてきました。

我々は小さな国です。しかし誇りを持った国民です。

我々は依然起こったことにショックをうけています。しかし我々は我々の価値を決して放棄しないでしょう。この事件に対する我々の応答は、より一層の民主主義であり、寛容さであり、思いやりなのです。しかしそれは決してナイーブさからくるものではありません。

労働党青年支部の少女はCNNのインタビューに答えるなかで、このことを誰よりも上手く言い表しました。
「一人の男がこれほどの憎しみをうみだせるならば、我々があわさればどれほどの愛をうみだせるか簡単に想像できるでしょう。」

最後に愛する一員を失った国中の家族の方々に対して呼びかけたいと思います。

あなた方が失ったものに対して、私そしてノルウェーという国から衷心より哀悼の意を表します。

それだけではありません。世界中があなた方と悲しみを共にしています。

私はバラク・オバマ、ウラジミール・プーチン、フレデリック・ラインフェルド、アンゲラ・メルケル、デイビット・キャメロン、ドミトリー・メドヴェージェフそしてその他多くの政府首脳に、彼等彼女等の弔慰をあなた方に届けると約束しました。

これらの弔慰であなた方が失ったものを取り戻すことはできません。何物もあなた方の愛するものをよみがえらせることはできません。

けれど、我々はみな、人生が最も暗いときにおいて支えと慰めを必要とするのです。

今があなたがたの人生で最も暗い時でしょう。

我々があなた方の側にいるということを知ってほしい。

2011年12月21日水曜日

クルーグマン on 中国の不動産市場

ノーベル賞経済学者のクルーグマン教授が12月18日付のNew York TimesのOp-ed欄(Paul Krugman, "Will China Break?")で中国の不動産市場の危険性について触れていたので、以下抜粋して引用。
*****
Consider the following picture: Recent growth has relied on a huge construction boom fueled by surging real estate prices, and exhibiting all the classic signs of a bubble. There was rapid growth in credit — with much of that growth taking place not through traditional banking but rather through unregulated “shadow banking” neither subject to government supervision nor backed by government guarantees. Now the bubble is bursting — and there are real reasons to fear financial and economic crisis.  
Am I describing Japan at the end of the 1980s? Or am I describing America in 2007? I could be. But right now I’m talking about China, which is emerging as another danger spot in a world economy that really, really doesn’t need this right now.
以下の状況を考えてほしい。最近の成長は不動産価格の上昇に支えられた大規模な建築ブームに依存しており、典型的なバブルの徴候をすべて示している。与信(クレジット)の急激な上昇がおきたが、上昇の大部分は伝統的な銀行業を介したものではなく、政府の監督下になく、政府の保証も有さない、規制の届かない「シャドウ・バンキング」を介して起きた。そして今バブルははじけつつあり、金融および経済危機が起こるのを心配するのに十分な理由がある。
私は1980年代の日本について話しているのだろうか?それとも2007年のアメリカについて?そういうこともできる。 しかしながら私は今、中国について話している。中国は世界経済の中で新たな危機の発生地点として浮上してきており、それは今の世界経済の状況においては本当に、本当に必要とされない危機だ。
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The most striking thing about the Chinese economy over the past decade was the way household consumption, although rising, lagged behind overall growth. At this point consumer spending is only about 35 percent of G.D.P., about half the level in the United States.
So who’s buying the goods and services China produces? Part of the answer is, well, we are: as the consumer share of the economy declined, China increasingly relied on trade surpluses to keep manufacturing afloat. But the bigger story from China’s point of view is investment spending, which has soared to almost half of G.D.P
The obvious question is, with consumer demand relatively weak, what motivated all that investment? And the answer, to an important extent, is that it depended on an ever-inflating real estate bubble. Real estate investment has roughly doubled as a share of G.D.P. since 2000, accounting directly for more than half of the overall rise in investment. And surely much of the rest of the increase was from firms expanding to sell to the burgeoning construction industry
Do we actually know that real estate was a bubble? It exhibited all the signs: not just rising prices, but also the kind of speculative fever all too familiar from our own experiences just a few years back — think coastal Florida. 
過去10年の中国経済について最も目立つのは家計消費が、上昇しつつあるものの、経済全体の成長に追いついていないことだ。今の時点で家計消費はG.D.Pの35%しかないが、これはアメリカの半分のレベルだ。
それでは、中国が生産する財やサービスを買っているのは誰だろう?部分的な答えは、まあその、我々だ。経済に占める家計のシェアが減少するにつれて、中国は製造業を無事に操業させるため、ますます貿易黒字に頼ってきたんだ。でも中国からみた場合、より大きなストーリーは投資支出にある。投資支出はGDPのほぼ半分まで膨らんだ。
明白な質問は、消費者の需要が比較的弱いなかで、何がこの投資を牽引したのか、というものだ。 答えはこの投資はかなりの程度、拡大する一方だった不動産バブルに依存していた、ということだ。2000年以降不動産投資のGDPに占める割合は2倍になり、不動産投資は投資全体の上昇の半分以上を占めるようになった。そしてそれ以外の投資のうちの多くの部分が、拡大しつつある建築業界への売上を拡大させてきた企業からきていることは間違いない。
本当に中国の不動産はバブルだったのだろうか?それはバブルの徴候をすべて示している。単に価格の上昇だけではなく、我々自身のほんの数年前の経験からもお馴染みの類の投機熱が生じていた。フロリダ沿岸を思い返してほしい。
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I hope that I’m being needlessly alarmist here. But it’s impossible not to be worried: China’s story just sounds too much like the crack-ups we’ve already seen elsewhere. And a world economy already suffering from the mess in Europe really, really doesn’t need a new epicenter of crisis
私自身がここで不必要な悲観論を広めているのであってほしい。しかし、心配しないではいられない。中国のストーリーは我々が他の場所で既に見てきた亀裂によく似すぎている。既にヨーロッパ発の混乱に苦しんでいる世界経済には、新しい危機の震源は本当に、本当に不必要なのだ。
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論説内の消費が全支出に占める割合のデータがどこからとられているかは分からなかったが、オーストラリア準備銀行(オーストラリアの中央銀行)も中国の家計消費支出の全体支出に占める比率の低下について指摘し、以下のグラフを載せている
出所: Reserve Bank of Australia