2011年12月15日木曜日

書評- Rational Choice

以下Itzhak GilboaのRational Choice(MIT Press, 2010)の書評。
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1.【著書概要】
経済学、意思決定理論、ゲーム理論等で使われる合理的選択理論(Rational Choice Theory)の基礎について難解な数学等を使わずにこの分野の前提知識がない初学者にも分かるよう紹介することを目指した本である。"近年の経済学への批判を超えて後世に残る"合理的選択理論の要点を解説することを目的としており、10章からなっている。数学を使った証明や練習問題・解答を記載したAppendix1-4がオンライン上にある。10章は以下の4つのパートからなっている。
  1. 最適化
    1. 実現できることとしたいこと
    2. 効用最大化
    3. 制約付き最適化
  2. リスクと不確実性
    1. 期待効用
    2. 確率と統計
  3. 集団選択
    1. 選択の集計
    2. ゲームと均衡
    3. 自由市場
  4. 合理性と感情
    1. 感情の進化論からの説明
    2. 効用と幸福
本の裏表紙にはドリュー・フューデンバーグ(ハーバード経済学部教授)とアマンダ・フリーデンバーグ(アリゾナ州立大学ビジネススクール教授)の推薦文が載っている。

2.【著者略歴】
私は著者をよく知らなかったが、著者のギルボアは現在フランスのHECとテルアビブ大学の教授である。HPの発表済み論文の履歴は多彩である。CVによると1982年にイスラエルのテルアビブ大学でBAを、1987年にPh.D.を取得している。主要な研究領域は不確実性の下の意思決定であり、確率の定義、合理性という概念、ノンベイジアン意思決定モデル、等を研究している。
本書を含めて5冊の本を書いており、そのうちのA Theory of Case-Based Decisions決め方の科学-事例ベースの意思決定理論として邦訳でも出版されている。

3.【所感】
(私はこの分野は門外漢だが)扱っている内容を考えた場合、本書の記述は平易に感じた。本書のように150ページ程度でかなり広い論点を、数学を使わずに分かりやすく説明することは難しいのだろうが、かなりの程度成功しているように思う。

そのような性質の本なので人によって興味をもつ箇所が違うと思われるが、私には以下の3点が興味深かった。
  1. 理論・定理の前提についての説明と吟味 本書では扱う定理・理論について、それが意味することの説明と同時にそれが意味しないこと、それを導くための前提がかなり丁寧に書かれているように思えた。以下例をいくつか挙げる:
    1. 「できること(feasibility)」と「したいこと(desirability)」の分離(1章):合理的意思決定の前提として「できること」と「したいこと」を分離して、分析することが指摘される。
    2. 効用最大化(Utility maximization)の意味(2章):効用最大化は感情や好き嫌いや高尚あるいは低次元な動機を排除するものではない。誰かが効用最大化をする、という時に意味されるのはただ彼/彼女は意思決定において首尾一貫している、ということである。例えばマザー・テレサの効用を「世界で健康な子供の数」とすれば彼女は効用を自身の最大化しようとしていたと述べることもできるかもしれない。
    3. 効用最大化の解釈の仕方(2章):効用最大化には3つの解釈の仕方があることが述べられる。1つ目は規範的(Normative)、2つ目は記述的(descriptive)、3つ目はメタ科学的(metascientific)な立場である。このなかでどの立場をとるかに関しては筆者は意見を述べていない。
    4. 確率の意味(5章):ここで著者は「事象Aが起こる確率はpである」というときの確率pとは何を意味するのかについて述べ、ここで頻度主義的な客観確率とベイジアン的な主観確率について触れている。
    5. 統計の注意点(5章):条件確率の混同への注意。相関関係と因果関係の混同が説明される。
    6. 個々人の効用関数の集計(6章):個人の選好を集計し、社会全体の効用関数を導出するのには、大きな問題があることが指摘される。例として、個人の効用をただ足し合わせるだけの比較的単純な方法であっても、個人の効用関数は一意ではなく従って社会的な効用関数は一意に決まらないことが挙げられる。
    7. パレート効率性の注意点(6章):パレート効率性への注意点として、社会的な状態としてパレート効率的な点よりもパレート非効率的な点を選好することはよくある(例:税金による福祉政策)、パレート効率性は公平性についてなにも示唆しない、等が述べられる。
    8. 囚人のジレンマのインプリケーション(7章):囚人のジレンマに対して、ゲーム理論家は人間を自己本位であると規定し人間の利他主義にもとづく協力などを考えてない、と非難するのは間違い、というか的外れであることが説明される(協力を考えることはできるが、その場合には違うゲームになる)。また、囚人のジレンマのメインメッセージは社会において、個々の合理性が集団の合理性につながらないことが多々あるということであることが述べられる。また利他主義だけで問題を解決しようとするのはしばしば危険である、と著者は主張する。
    9. 厚生経済学の第一定理の前提(8章):著者は厚生経済学の第一定理が成り立つための前提条件をかなり詳しく検討し、現実世界での反証を挙げている。例:情報の非対称性、外部性、「均衡の存在」は「均衡への動的な収斂」を保証しない、理論で仮定される選好の不変性への疑義、等。
  2. 著者自身の選好 初学者のための本なので複数の学説のなかからある1つの立場を選び、著者自身の特定の意見を表明する、という箇所はない。ただ筆者には、トピックの選び方や書き方から著者の意見が暗示されているような箇所がいくつかあるような気がした(単なる深読みかもしれないが)。以下2例を挙げる。
    1. 8章(自由市場):著者はこの章で厚生経済学の第一定理をかなり詳しく説明したあと、この定理をカジュアルに経済全体に適用することについてかなり慎重な姿勢をとっている(it deserves to have a long list of qualifications)。著者はまた、この定理は経済学のなかでもっとも拡大解釈され、かつ誤解されてきた定理の一つである、と述べ、この定理は経済全体にはなかなか適用しがたいが、別の場所では有用なステップとして使えることを述べている("The first welfare theorem is fraught with difficulties as a theory about real markets in entire economies. Yet, it suggests a powerful insight that may be used in other contexts")。これらの箇所から筆者には著者がこの定理の現実世界への早急な適用について否定的なスタンスをとっているように読めた。
    2. 10章(効用と幸福):著者はこの章で大要次のことを述べている。人々の主観的な幸福において所得の増加(多くの場合GDPで測られる)は小さな寄与しかしない。我々は人々の幸福を測るための良いインデックスを持っていない。しかしこれはGDPを無視していいということではない。多くの場合我々は(幸福の対となる)不幸については幸福よりもよく理解している。高いGDPは貧しいものの不幸を減らす種々の政策を可能にする。経済成長は富むものの幸福を最大化しはしないが、貧しいものの不幸を最小化することはできるかもしれない。筆者はこれに続けて、慎重ながらロールズ的な立場について以下のように一定の賛意を示しているように思える。「One possible conclusion, in line with the position of John Rowls, is that social policies should focus on the minimization of misery rather than on the maximization of happiness (一つの可能な結論は、ジョン・ロールズの立場と一致するものだが、社会政策は幸福の最大化ではなく、不幸の最小化を焦点とするべきであるというものである。) 」
  3. 感情と合理性9章では感情と合理性との関係が語られるのだが、著者は感情と合理性を相反するものではなく、互いに補完的なものと位置づけている。著者によると合理性を適用する前提として、「(合理性をつかって)どの問題を解きたいか?」を決定するさいには感情(好き・嫌い)が必要となる。感情がなければ「したいこと」がわからず、そのために「できること」について意思決定する動機がない。合理的意思決定についての反発のなかには、「人間は感情のない機械のようには意思決定しない」、というものがあるが著者によれば合理的意思決定は感情と補完しあうパラダイムなのである。なお、たまたま私は本書と同時にDaniel KahnemanのThinking, Fast and Slowを読んでいたのだが、ギルボアとカーネマンの本は人間の思考に関する研究として、相補うように感じた。乱暴にまとめるとカーネマンの本は人間の思考を「早い思考:System1、無意識的、感情、即座、労力最小限」と「遅い思考:System2、意識的、合理性(計算・統計・理由付)、熟慮、労力必要」に分けたうえで、早い思考の特徴とそれが遅い思考に及ぼす影響を扱っている。本書で分析される合理性は遅い思考、カーネマンが分析するのは感情に代表される早い思考であり、両者はともに相伴って人間の意思決定に影響を及ぼす(ただ感情は合理性が前提とする意思決定の首尾一貫性にも影響を及ぼすのだがここでは省く)。蛇足だが、ここまで書いてきて、アダム・スミスが「道徳感情論」で「共感」を基礎に感情の役割を、「国富論」で「分業」を基礎に各人が個々合理的に行動する分権経済を分析したことを思い出した。21世紀の社会科学者による感情と合理性の研究からアダム・スミスが姿を現わすのを進歩とみるべきか、退歩とみるべきか、あるいは当然とみるべきかについては私にはよくわからない。