2011年12月30日金曜日

ノルウェー首相のスピーチ⑤ ケーキを焼き連帯する

今回は最後として8月21日の国家追悼式典での首相スピーチ(原文はここ)。
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スピーチでも強調されるが、ノルウェーは自国のデモクラシーに自信と誇りをもっている。これは単に自分自身で誇っているだけではなく、外部機関の評価でもノルウェーのデモクラシーは高い評価をうけている。例としてThe Economistが選ぶ2011年のデモクラシーインデックスではトップである。ノルウェーは2010年もトップであった。日本は2011年は21位で"Full democracy"の中では下から5番目であり、コスタリカ(20位)と韓国(22位)の間に位置している。

それと同時にノルウェーのデモクラシーも多くの問題を抱えていることを指摘されており、議会から附託を受けた研究者による2003年のレポート(The Norwegian Study on Power and Democracy, English Summary, 2003)はノルウェーの"デモクラシーの衰退"を以下の要因によるものとしている。
  • 国民の政治参加の低下
  • 政党の断片化(fragmentation)と少数与党からなる政府
  • 政党間の差異の消滅と地方政府の弱体化に起因する政治の国民からの乖離(代表制民主主義の衰退)
  • 潤沢な石油資源が少数の民間セクターに集中することによるデモクラシーをもとにした所得再分配機能の低下
  • 市場経済の拡大とともに進行する民間企業への権力の集中とそれに反比例した議会の権力の低下
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国家追悼式における首相スピーチ 2011年8月22日
イェンス・ストルテンベルグ ノルウェー首相

陛下、殿下、
紳士淑女の皆様、
そして皆さん、

今日我々は亡くなった方を思い出すため時計を止めています。
我々は一つの国としてそうしています。
我々はともに失うはずのなかった、そして失うべきではなかったものを失いました。77の命を失ったのです。
我々はともに憎悪に打ち勝ちました。
我々はともに開放性、寛容さ、そして連帯感を尊重しています。

我々は墓地で最後のお別れをいわなければならなかった方々とともに泣きました。
我々はあの暗黒の金曜日の、光景、音、そして匂いを忘れることのできない方々とともに追悼を行います。

我々は命を救った方々に感謝します。
痛みをやわらげてくれた方々にも。

すべてのキャンドルに灯がともりました。
すべての考えは慰めを見出しました。
すべてのバラは希望を与えました。

我々は小さな国家です。しかし誇りある国民です。

我々はともに、多くの疑問を抱えています。
我々はともに、誠実な答えを探しています。
犯人以外の人を責めるのではなく、知り、学び、そして前進しましょう。
打ち砕かれた人々のためにも、我々は前へ進まなくてはなりません。
それはまた、意見の不一致も意味します。
日々の暮らしのなかでの、差異や意見の相違が我々をまっています。
様々な差異と多様さ。
我々はそれを歓迎します。

我々はこれらの課題に対して、722日の事件の中で我々が経験した連帯の精神で臨まなくてはなりません。

はじめに、ようやく嘆きの道から歩きだしたばかりの人々を気にかけなくてはなりません。

あのような形で愛するものを亡くした方の嘆きの深さを本当に理解することは難しいことです。

日曜日の夕食のさいの空いた椅子
誕生日を迎える子供を欠いた誕生日
最初のクリスマス

あなた方は助けの手を差し伸べられます。
ケーキを焼きましょう。コーヒーに誰かを招きましょう。一緒に散歩をしましょう。
親切さは我々が持つ最高の資産です。

2番目の仕事は過激な思想や行動を示す徴候に対し、注意深くあることです。

我々は若者から学ばなくてはなりません。
我々は憎悪に対して議論によって対抗しなければなりません。

我々は道に迷って途方にくれてしまったものを招き入れなくてはなりません。
我々は暴力を使いたがるものに対して反対しなければなりません。
我々はそのような者たちに対してはデモクラシーが与えるすべての武器で対峙しなくてはなりません。
我々はそのような者たちにあらゆる場所で対峙しなければなりません。

3番目の仕事は安全と安心感をつくりだすことです。
よき準備は安心感をつくりだします。
路に立つ警官は安心感をつくりだします。
コントロール、訓練、装備
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我々はこれらすべてを行わなくてはなりません。
しかし、我々にはより一層重要なものが必要なのです。
我々にはあなたが必要なのです。

あなたがどこに住もうとも
あなたがどんな神を信じようとも

我々一人一人は皆、責任を負えるのです
我々一人一人は皆、我々の自由を守ることができるのです

我々はともに連帯とデモクラシーと安全さと安心感により壊すことのできない鎖をつくります。

これが暴力に対する我々の防壁なのです。