2012年1月26日木曜日

もはやアメリカが自由の国ではない10の理由

以下はWashington Postに載ったJonathan Turleyの論絶(2012年1月15日"10 reasons the US is no longer the land of the free")の訳。Turleyはアメリカのリベラル派の法学者。
9/11に続く「テロとの戦い」でアメリカが失ったものを挙げるとき、経済問題を除くとすると、アメリカの多くのジャーナリストや法学者は「9/11以降、国家は一貫して法律で守られるべき国民の自由の領域を縮小している」ことを指摘する。
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いくつか挙げると、自国の市民を裁判手続きなしで殺害したり(アウラキのケース)、裁判を経ることなく容疑者を無制限に留置したり、テロの容疑者とみなされたものを拷問にかけたり、市民を盗聴したり、その他諸々。この記事はそれらをまとめて概観したもの。
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この問題を深く掘り下げた本としてJane MayerのThe Dark Side(New York Timesの年間の10冊に選ばれるなど大変評判を呼んだ)がある。そしてこのような懸念はリベラル派のみが抱くものではなく、政治的にはアメリカの共和党を支持するThe Economistのような雑誌も同様の懸念を表明している
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また多くのリベラル派は、オバマ大統領は前任のブッシュ前大統領が9/11後に推し進めた規制を撤廃するどころか、むしろそれを更に推し進めている、と指摘する(例えばここ)。
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アメリカ建国にまつわるナラティブは「政府の迫害を逃れて自由を求めた者たちが約束の地で新しい国家を創立した」というもので、現実は先住民の虐殺に見られるようにそのように綺麗なものではなかったにせよ、このナラティブはいまだに多くのアメリカ人の心をつかんでいる。しかし、以下の記事のようにアメリカ建国のナラティブの核心をなし、それを守るために自国がつくられた「自由」を亡くすとき、アメリカが何を拠り所にするのか、という声も挙がっている。
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もはやアメリカが自由の国ではない10の理由 (10 reasons the US is no longer the land of the free)
by Jonathan Turley Washington Post
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毎年国務省は他国における個人の権利に関するレポートを発表しており、世界における(個人の自由に対しての)抑圧的な法律や規制の進捗をモニターしている。例えばイランは公平な公開の裁判を拒否していることについて、ロシアはデュープロセスを弱体化させる手段をとっていることについて批判されている。その他の国々は非公開の証拠と拷問を使用していることについて非難されている。
自由がないと考える国々のことは批判するけれども、アメリカ人は自由な国家のいかなる定義においても自国は含まれていなければならない、と自信をもっている。けれど、その自由な国における法律とその運用は彼らの自信を揺るがせてしかるべきだ。2001年9月11日からの10年間、この国は国家の安全を広げるという名の下、市民の自由を包括的に縮小させてきた。その最も直近の例は12月31日に成立したNational Defense Authorization Actで、その法律は市民の無制限の拘留を可能にするものだ。我が国における個人の権利の縮小がどこまで進めば、我々は自分自身の定義の仕方を変えるのだろう?
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ワシントンが得てきた国家安全保障上の種々の権力はそれらが制定されるさいに議論を呼んできたけれども、個別に議論されがちである。しかしながら、それらの権力は孤立して機能するわけではない。それらは権力のモザイクを形成し、そのモザイクのもとで我が国は、少なくとも部分的には、独裁主義的国家(訳者注: Authoritarianは権威主義とも独裁主義とも言う)と考えうるかもしれない。しばしばアメリカ人はキューバや中国を自由のない国とカテゴライズし片づける一方、自身の国を世界における自由の象徴として褒め称える。しかし、客観的に見ると、我々は半分しか正しくないのかもしれない。それらの国々はたしかに、デュープロセスのような個人の権利を欠いており、あらゆる"自由"の妥当な定義の枠外に自国を置いている。しかし現在のアメリカは、誰も認めたがらないかもしれないほど、それらの国々によく似ているのだ。
それらの国々も自由と権利を保証することを目的とする憲法を持っている。しかしそれらの国の政府は、そのような権利を否定し、かつそれに対して市民が異議申し立てをする道を閉ざすことのできる広範な裁量を有する。そしてこれこそまさに、この国で制定された新しい法律群がもつ問題なのだ。
9/11以降で、米国政府が得てきた権力のリストは、我々が思う以上に我々を厄介な同胞の一員の側に置くものなのだ。
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アメリカ市民の暗殺
オバマ大統領は、彼の前にブッシュ大統領がしたように、テロリストもしくはテロリズムを幇助していると考えられるいかなる市民に対してもその殺害を要求できる権利を主張してきた。去年彼はこの(大統領が)備え持つ権限と称する権利の下、アメリカ市民であるアンワル・アル・アウラキともう1人の市民の殺害を承認した。先月、政府の高官はこの権力について再確認し、大統領はテロリストを幇助していると自身が考えるあらゆる市民に対し、暗殺を指示することができると述べた。
(ナイジェリア、イラン、シリアといった国々は国家の敵を法律の枠外で殺害することについて繰り返し批判されてきた。)
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無期限の拘留
先月制定した法律のもとでは、テロの容疑者は軍によって拘束されるものとなっている。くわえて大統領もテロリズムと関係があるとされた市民を無期限に拘留する権力を得ている。カール・レヴィン上院議員がその法案は「それがいかなる法律であれ」既存の法律を踏まえなければならないと主張したが、上院は明確に市民を除外しようとした修正を拒否した。そして政府はそのような権力に対し連邦裁判所の場で意義を申し立てようとうする試みに反対している。政府は自身の完全なる裁量によって市民から法的な保護を奪う権利をもつことを引き続き主張している。
(中国は最近、自国の市民に対し、より限定された拘留を可能にする法律を制定した。またカンボジアのような国はアメリカから"長期間にわたる拘留(prolonged detention)"を指摘されている。)
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恣意的な司法
今では大統領は市民が連邦裁判のもとでの公判を受けるのか、軍事法廷のもとでの裁判を受けるのかを選択することができる。これはまさに世界中で基本的なデュープロセスの保護の欠如として嘲笑されてきたシステムだ。ブッシュが2001年にこの権力を主張し、オバマはこの習慣を続けている。
(エジプトと中国は市民を含む選ばれた被告人に対し、軍事裁判のシステムを適用しているとして非難されてきた。)
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令状なしの捜査
今では大統領は令状なしに監視をおこなうかもしれない。その監視には市民の財政状況や通信記録や交友記録に関する情報を会社や組織に要求し、引き渡させるといったことが含まれる。2001年にブッシュは愛国法(Patriot Act)のもとでこの広範囲に渡る権力を手にし、2011年にオバマはビジネス文書や図書館の閲覧記録といったすべての捜査を含むよう、この権力を拡張した。政府は"National security letter"を使うことで、相応の理由なしに、組織に対して市民の情報を引き渡すように要求でき、その上関係当時者にそのような要求を明かさないように命令することができる。
(サウジアラビアとパキスタンは、政府が広範囲で裁量にもとづく監視を行うことを可能にする法律のもとで運営されている。)
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秘密証拠
政府は今では定期的に市民を拘留するに際し、非公開の証拠(訳注:secret evidence)を用い、連邦裁判と軍事裁判の場で非公開の証拠を採用している。政府はまた、アメリカ政府に対してなされる訴訟に関し、政府がもつ国家の安全を損なう可能性がある機密文書(訳者注:classified information)が明らかにされる可能性がある、と宣言することで、そのような訴訟を却下することができる。政府によるこの申し立てはプライバシーに関する訴訟に対してなされ、そのほとんどの申し立ては連邦判事に疑いなく受け入れられている。法律意見書(訳者注:legal opinion)でさえ、ブッシュ・オバマ政権のもとで政府の行動の基礎となったものとされ、機密文書に分類されている。これにより、政府は、政府による非公開の証拠を用いた非公開の訴訟を支持するための非公開の法的主張をすることができる。加えて、いくつかの訴訟はそもそも、決して法廷の場で争われない。連邦裁判所は日常的に、政策やプログラムに対する憲法上の異議を、訴訟をすることの当事者適格のもとで撥ね付ける(訳者注:"under a narrow definition of standing to bring a case"がよくわからなかったため、ここは意味がとおるように訳せていない)。d
戦争犯罪
世界はブッシュ政権の下、テロリズムの容疑者に対して水責めによる拷問を行った者に対し告訴を強く要求したが、2009年にオバマ政権は、CIAで働くものが水責めの類の拷問を行ったとして調査されたり、告訴されたりするようなことはさせないと述べた。これは条約義務だけではなく、国際法上のニュルンベルグ原則を骨抜きにするものだった。スペイン等の裁判所がブッシュ政権の高官を戦争犯罪人として調査しようと動き出したとき、報道によれば、オバマ政権は外国高官に対しそのような訴訟が進行するのを防ぐように要求した。アメリカは長年に渡り、他国において戦争犯罪人とされてきたものに対し同様の措置を要求してきたという事実があるのだが。
(多くの国家が戦争犯罪や拷問をおこなったとして非難される高官に対する調査に対して抵抗してきた。セルビアやチリのような国は最終的には国際法に従う方向で屈服した。独立した調査を拒否している国にはイラン、シリア、中国などが含まれる。)
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秘密裁判
政府は非公開の外国インテリジェンス監視法廷(Foreign Intelligence Surveillance Court)の利用を拡大してきた。その法廷は(アメリカに)敵対的な他国の政府や機関に協力したり、幇助したりしたとされる個人の拘束が可能になるよう、自己の権限を拡大させてきた。2011年にオバマはこれらの権力を更新した。この更新には識別可能なテロリストグループに属さない個人に関する秘密捜査を可能にすることが含まれた。政府はそのような監視に関する憲法上の上限を無視する権利を言い立てている。
(パキスタンは国家の安全を守るための監視をチェックをうけない軍部や諜報機関に委ねている。)
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法律的な審理からの免責
ブッシュ政権のように、オバマ政権は令状なしの状態で市民を監視する手助けをした会社への免責を押し通し、市民がプライバシーの侵害に異を唱えることを妨害してきた。
(同様に中国は国内と国外の両方からの異議に対し広範囲な免責を主張しており、民間の会社に対する訴訟を日常的に妨害している)
市民の継続的な監視
オバマ政権はいかなる法律的な命令や審理もなしに、GPS機器を使用し対象とする市民の一挙一動をモニターすることができる、という自身の主張を押し通してきた。(サウジアラビアは大規模な公的な監視システムを導入しており、キューバは選出した市民に対しての積極的なモニタリングで悪名高い。)
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囚人特例による囚人の(第三国への)引き渡し
政府は現在では囚人特例引き渡し(extraordinary renditions)というシステムのもとで、市民、非市民の両方を第三国に移送する能力を得ている。この制度はシリアやサウジアラビアやエジプトやパキスタンといった他国を容疑者の拷問を行うために使用するもの、として非難されている。オバマ政権はブッシュ政権のもとで行われたこの習慣の乱用を続けてはいない、と述べているが、アメリカ市民の移送の可能性も含んだ、囚人の引き渡しを指示することについて拘束のない権利を持つことは主張している。


これらの法律は、州および連邦レベルにおけるセキュリティーシステムの拡張のために使われる資金の流入と同期している。これらの資金はより多くの公的な監視カメラ、多数の保安要員、テロリズムを追跡する官僚機構の大規模な拡大を含む使途で使われている。
ある政治家は、こうした権力の拡大は単に我々が生きている時代に反応しているにすぎないといい、肩をすくめる。それ故、リンゼーグラハム上院議員は昨春のインタビューで、異議をうけずに「言論の自由(free speech)は素晴らしいアイデアだが、我々は戦争をしているのだ。」と宣言することができた。勿論テロリズムが"降伏"することはないだろうし、この特定の"戦争"を終えることもないだろう。
他の政治家は、確かにその種の権力は存在するかもしれないが、問題はそれがいかに使われるかだ、と正当化する。これはブッシュを批判したようにはオバマを批判することができないリベラル派に共通してみられる反応だ。例えば、カール・レヴィン上院議員は議会は無期限の拘束についてのいかなる決定をしているわけではない、と主張している。「これは我々が本来の決定者である大統領府に任せるべき判断だ。」
そして、Defense Authorization法案の調印時における声明のなかで、オバマは得られた権力を使い市民を無期限に拘置することは意図していない、と述べた。しかしながら、依然として彼は、本心ではない独裁者(regretful autocrat)としてそのような権力を受け入れている。
独裁主義的な国家というのは、独裁的な権力の使い途によって定義されるのではなく、それらの権力の使用が可能になる能力によって定義される。もし大統領が彼の権能であなたの自由や人生を奪うことができるとすると、すべての権利は最高権力者の意思に左右される裁量的な施しにすぎなくなる。
合衆国憲法の起草者達は独裁的なルールの下で生き、この危険について我々よりもよく知っていた。よく知られているようにジェームズ・マディソンは、我々には支配者の善意や善良な動機に依存しないシステムが必要であると警鐘を鳴らした。「人間が天使ならば、政府はいらない。」
ベンジャミン・フランクリンはもっと率直だった。1787年にパウエル夫人は憲法の調印を済ませたフランクリンに直面し、尋ねた。「あの、先生、私たちは何を得たのでしょうか?共和国でしょうか君主国でしょうか?」彼の反応は若干冷ややかなものだった。「共和制です。マダム。あなたがそれを保つことができればですが。」
9/11以来、我々は起草者達がまさに恐れたような政府をつくりだしてきた。広範でほとんど抑制されず、賢明に使われるであろうという希望に依存している権力を備えた政府だ。
Defense Authorization法案の無期限拘束に関する条項は、多くの市民的なリバータリアンにとってオバマによる裏切りのように映る。大統領は法案のその条項に対し拒否権を発動すると約束しているが、法案の発起者であるレヴィンは上院の廊下で、市民に対する無期限の拘束を除外するいかなる規定をも削除することに賛成したのは、実際のところ、ホワイトハウスであると明らかにした。d
アメリカ国民にとって政治家の不誠実はちっとも珍しいことではない。真に問題にすべきは、自国を自由の国というとき、我々は我々自身に対し嘘をついているのではないかということである。
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*ジョナサン・ターリーはジョージワシントン大学の法学教授
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