2011年12月8日木曜日

書評- The Honor Code


Kwame Anthony AppiahのThe Honor Code: How Moral Revolution Happen (New York: W.W. Norton, 2010)を読み終えたので備忘のため書評を残しておく。

1.【著書概要】
本書は名誉(Honor)という概念が、道徳の進歩(Moral Progress)において果たしてきた役割を、具体的な歴史上の事例をもとにして考察する本であり、歴史と哲学にまたがる領域について書かれている。扱う事例は、イギリスの決闘、中国の纏足、大西洋をまたいだ奴隷交易、パキスタンに現在も残る女性差別(これは現在進行形)の4つ。4つのケースにおいてこれらの風習を容認した/する社会的規範と歴史的背景の説明の後、これらが撤廃(最後のパキスタンのケースはまだ撤廃されていないが)されるまでの過程(Moral Revolution)でどのような言説が形成され、そのなかで名誉(Honor)の概念がどのような役割を果たしたかを考察している。また最終章では最後に名誉の概念について4つのケースをもとにして、カント等も交えて若干の哲学的考察がなされる。

本書は2010年10月にアメリカとイギリスで刊行されNew York Times Book Review、The Independent等の書評欄で好意的な書評を得ている。現在ではオランダ、フランス、ドイツ、イスラエル、インドネシア、イタリア、韓国、スペインの各国で翻訳版が刊行されている模様。

2.【著者略歴】
著者のKwame Anthony Appiahは現在アメリカのプリンストン大学哲学科の教授である。Wikipediaによると1954年にロンドンで生まれた後、ガーナで成長し、大学学部からイギリスのCambridge大学で学びCambridgeでPh.D.を取得している。その後Yale, Cornell, Duke, Harvardといったアメリカの大学やドイツ、ガーナ、南アフリカの研究機関で教鞭をとる(以上のソースはここ)。
アメリカ・ヨーロッパでは名の知れた研究者/著者らしく複数の研究書の他に小説も書いている。著書のなかでは本書とCosmopolitanism: Ethics in a World of Strangersが有名のようだ(筆者は後者未読)。

3.【各章の概要】
  1. イギリスの決闘:1829年3月21日8時少し前イギリス首相のウェリントン侯爵とウィンチルシー伯の決闘の場面から始まる。ウェリントンは銃を撃ったが命中せず、ウィンチルシーが撃つ段になった際ウィンチルシーは自身の銃を空に向けて放ち、決闘は終わりになった。この出来事の背後にあった当時の社会背景と決闘に反対する種々の言説(ヒューム、アダム・スミス等)を紹介し、決闘という風習が長い間イギリスの貴族社会でどのように名誉(Honor)と関連して位置づけられていたかを確認する。その後産業社会を背景にした貴族社会の衰退と中産階級の勃興を背景にしてどのようにこの風習が廃れていったかを決闘とHonorの概念の分離をもとにして描く。
  2. 中国の纏足:冒頭で1898年中国のKang Youweiという科挙に通ったインテリが北京に宛てて提出した纏足に反対するメモを紹介する。その後当時の清王朝で西太后が振るった権勢、列強の侵略に対する清内部のインテリの対応(より開かれた改革を望む層と保守層の対立)、中国に布教に訪れていたキリスト教徒による纏足反対運動を、纏足の歴史と纏足を強制した社会的規範を背景にしつつ描く。纏足の起源を正確に定めるのは難しいが、一つの説はその始まりを南唐の李イク(961-975)の頃としている。13世紀には上流階級では女性は纏足をすることが強制されたことが観察されている。纏足は女性の身体を傷つけ、はななだしいときには足の切断や死に至った。それでも纏足は上流階級の間で貞節の証とされ、結婚するために必要とされた。のちにこの風習は下の階級にもひろまった。この風習は王朝の変遷のなかでも存続した。明(1368-1644)を滅ぼし清王朝(1644-1912)をひらいた満州民族は度々この風潮を禁止したが、度重なる禁令は無視された。中国が侵略してくる世界と対峙したさいに、自国の遅れを自覚したインテリ達は纏足を悪習とみなし、西洋に伍すためにはこれを撤廃しなければならないと論陣をはった。これらに加えてキリスト教の使節団によっても纏足は悪習とされた。纏足は不名誉という概念と関連付けられ、最終的には纏足を強制する風潮は徐々になくなっていった。
  3. 大西洋をまたいだ奴隷貿易: コロンブスのアメリカ発見に代表される西洋の大航海時代はアメリカ、ヨーロッパ、アフリカをつなぐ奴隷貿易圏をつくりだした。アメリカではプランテーションのために労働力を必要とし、アフリカでは社会的な混乱から捕虜となる人々が供給された、ヨーロッパはこの2地点をつないだ。19世紀のはじめにおいてこの貿易は大西洋を囲む経済圏の要だった。この奴隷貿易の廃止においても名誉という概念が大きな役割を果たした。イギリスは1807年にイギリスでの奴隷貿易を1833年に植民地での奴隷使用を、1838年に西インドでのNegro Apprenticeshipを廃止した。イギリスでの奴隷の廃止運動には奴隷制度は悪いことだという道徳面での社会の合意の上に、国家の名誉の概念に訴えることによる奴隷反対運動への大衆の動員が必要になった。18世紀の中ごろまでに奴隷貿易は悪いという社会的な合意が成立していた。ジョサイア・ウェッジウッド、エラスムス・ダーウィン(チャールズ・ダーウィンの祖父)なども積極的に反奴隷貿易の活動をした。その合意は後に上流階級だけでなく、中流階級や下層階級にも広がりを見せた。奴隷貿易に反対する運動は国家の名誉(National Honor)という概念に訴えることで広範な支持を社会の各層で得ることになった。特に台頭する中流階層は奴隷には人としての尊厳(dignity)が欠けている状態に反応した。それまでの社会と異なり、大衆が参加する民主的な社会ではすべての人に尊厳がある、という認識がひろまった。誰かを出自が良くないという理由で差別するには、それを正当化するための理由が必要となった。このような社会では尊厳に欠けた状態にある奴隷を放置するのは国家の不名誉であるという認識が形成された。
  4. パキスタンの女性差別:多くの社会では現在も女性による離婚を禁止している。またレイプの被害にあったり、結婚以前にセックスをした女性を女性本人及びその家族にとって不名誉である(dishonor)として責め、甚だしい場合には殺す風潮が残っている。2000年の国連のレポートによると5,000人もの女性がこのような理由で毎年自身の家族などの近親者によって殺されている。本章ではこのような差別がパキスタンでおきた次のような事例をもとにして考察される。
  5. 1989年にパキスタンの北西、ペシャワールに住むGhulam Sarwar Khan Mohmandの娘Samia SarwarはImran Salehと結婚した。この結婚は夫の暴力などの理由からうまくいかず、Samiaは別居した。彼女は離婚をしたかったが、パシュトゥーン人の認識では離婚は家族の名誉を傷つけ、家族に対して害を及ぼすため両親が許さなかった。数年後別居し夫とはまったく交渉もなく学校で法律を学んでいたSamiaはある男と恋に落ちた。家族がメッカに巡礼にいっているさいにSamiaはしいたげられた女性のための救済施設に行き、そこの法律家に対して夫との離婚を進めることを願い出た。その数週間後家族のものが彼女を訪れ、離婚に賛成することにしたといい、ついては母に会うように彼女に依頼した。1999年弁護士とともに弁護士の事務所でSamiaは母に会った。母は約束に反して一人の男を連れてきた。男は事務所にはいると銃を構えて弁護士の前でSamiaの頭を銃で撃ち抜き殺害した。殺害は明白で弁護士は事件のあと殺人を裁こうとしたが、政治家達はパシュトゥーン人の名誉の概念(家族の不名誉を自分たちの手でそそぐ)を持ち出し、結果として2009年現在誰一人現在に至るまで裁かれていない。
     この事件を巡りパキスタンでの2つの名誉概念が現在進行形で解説される。
    1. 上記の4つの事例をもとに名誉に関する規範(Honor Code)に関していくつかの論点が提出される。
      1. 名誉に関する規範(Honor Code)は、あるアイデンティティに属する人々にどうすれば尊敬をうける権利を得ることができるか、そして名誉を得ること及び失うことにより人々の扱いがどのように変わるのかを示す。
      2. またこの規範はあるアイデンティティに属する集団に対して、どのように振る舞うべきかという特定の行動様式を課す。
      3. このような規範は道徳的ではない行動(名誉のための殺人等)を課すこともあるため、名誉に関する規範が道徳に一致しない場合がある(イギリスの決闘、中国の纏足、女性蔑視等)。道徳における進歩とともに名誉に関する規範は変化する。
      4. 名誉に訴えることでこのような進歩が進むことがある(「纏足は中国の不名誉を世界にさらしている」等の主張)。追加の例としてこの章はアブグレイブ収容所の囚人虐待を告発したアメリカの将校を扱っている(「このような行為はアメリカ軍の名誉を傷つける」)。
      5. 名誉に関する規範は現在でも軍隊以外にも教師、医者等の職業に就く人たちの間にも存在する。このような規範は職業倫理として人々を支えてきた。
      6. このような規範はほかの手段(細部にわたる法律・恒常的な監視等)に比べ、人々の行動を規律付け、監視する責任を人々自身の心に転嫁するためコストが低く経済的でもある。
      7. 現在の民主化された社会では名誉は人間の尊厳という形をとり、あらゆる人々に尊厳があるという形で人権概念と結びついている。
    4.【所感】
    名誉という概念を考える体裁をとりつつ、最後のパキスタンのケースにおいて現在進行形の問題を扱い運動の戦略についても考察するなど哲学/歴史書という側面に加え、歴史事例から名誉の概念を抽出し、それを実際に差別撤廃の運動等へと展開していこうとする社会運動への志向を併せ持った啓蒙書にもなっている。

    著者はアフリカンアメリカンスタディの分野ではスターの一人らしく欧米の学会では相当の知名度を持つようである。

    紹介される歴史事例が中国のものを除きイギリスの決闘、大西洋の奴隷貿易、パキスタンの女性差別といった日本とは直接の関係がない地域のものが多いため若干読者を選ぶが、内容自体は面白いため日本の読者にも歓迎されるのでは。

    哲学の本ではあるが本自体は平易な英語で門外漢にも理解しやすく書かれている(正直最後の名誉の哲学的位置づけの部分は筆者には若干消化不良だったが)。

    なお、学内ゴシップに属することで筆者もよく細部の事情を知らないが、2002年にアピアが当時教鞭をとっていたハーバードから現在のプリンストンに移った理由の一つとして、アピアの同僚であったコーネル・ウェストが当時の学長であったローレンス・サマーズからミーティングで叱責されたことがネットで挙げられていた。本人はこの理由を明確に否定している。なお、コーネル・ウェストの件に関してはアピアを加えたアフリカンアメリカンスタディの教授たちの抗議をうけてサマーズは後に謝罪した模様。