2012年2月6日月曜日

アセモグル:アメリカの不平等についての5冊-①

現在のアメリカにおいては高所得者層と低所得者層との間で富が不平等(inequality)に分布している、と主張される。以下ではMIT教授の経済学者ダロン・アセモグル(Daron Acemoglu)がThe Browserというサイトで文献紹介を通じ、この問題について語っているインタビューを和訳する。今回はその1回目。
*インタビューの分量が多いので4回に分ける予定。なおいつもながら見直し等をしないで荒く訳しているので精確さの保証はしません。

以前このブログでも取り上げたがアセモグルはトルコ生まれ(1967年)で現在はMIT経済学部教授。40歳以下の優れた業績を挙げた経済学者に贈られるジョン・ベーツ・クラークモデルを受賞している(ちなみにこの賞の歴代の受賞者にはBecker、Stiglitz、Spence、Krugman、McFadden等の多くのノーベル経済学賞受賞者がいる)。成長論、政治経済学、技術進歩、等カバーする分野が大変広く、不平等に関しての研究もおこなっている。アメリカの主流派経済学の若手のスーパースター的な存在で、その彼がこの問題について考える際の重要文献の紹介を通じながら自身の見方を(難解な経済の理論モデルによらず)平易な話し方で詳説している点で貴重なインタビューのように思える。

Daron Acemoglu Source: MIT HP  

話柄は多岐に渡るが、インタビューの要旨としてアセモグルはアメリカの不平等を考える際は以下の2つを分けて考えるべきことを指摘している。
  • トップ10%と下位90%との間の格差⇒教育システムの問題:トップ1%層と他の層との比較のように目立つものではないが、重要な論点。アメリカの教育システムが「技術(変化)との競争」において後れを取り、結果として技術変化の速度についていけるような技能を備えた労働者の供給に失敗しているという問題
  • トップ1%(あるいは0.1%)とその他の層の格差⇒政治システムの問題:Occupy Wall Streetが指摘するようにアメリカのトップ層や大企業がマネーの力を通じて政治に対して不健全な影響力を行使し、自身を利しているという問題
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Five Books Interview Daron Acemoglu on Inequality (1/4)

不平等(Inequality)は現在のニュースに多く登場します。それについて我々はどう考え、理解するべきでしょうか?
不平等は過去30年あまりの期間において、米国およびその他の国で大きな変化のあった事柄の一つです。多くの物事はあまり急激には変化しませんが、不平等については変化があったのです。何故このような変化がおこり、それが我々の社会にとってどのようなことを意味するのかを理解することは重要です。したがってそれがニュースに登場するのはよいことです。それは重要なトピックでありタブーとして扱うべき理由は何もありません。そうはいいながらも、不平等についてどう語るかについては社会科学者の間でコンセンサスがなく、平均的なエコノミストの不平等に関する考えは平均的な素人の考えとおそらく大きく異なっています。私は一方が正しく、他方が間違っているといっているのではありませんが、両者の対話のさいには、双方の異なった視点をテーブルに乗せることができるように話柄を広くとる必要があります。
エコノミストの意見とはどのようなものですか?
エコノミストのデフォルト(既定値)としての立場は、不平等は異なる従業者間で同等ではない人的資本や生産性を反映している、というものです。この前提、それはつまり人々の所得は彼らの雇用主やそしておそらく社会に対する彼らの貢献につりあっているという前提ですが、から出発すると、拡大する不平等は私たちに人々の生産性が時間に沿いながらどのようにして発達してきたかを告げることになります。すべてのエコノミストがこう信じているわけでは決してありませんが、これは一般的な見方です。エコノミストがこの問題について取り組むさいには、アメリカやほかの国における過去30年にわたる大学(の学位がもたらす)プレミアムの上昇や高所得者層(所得分布の90%層)と低所得者層(所得分布の10%層)との間のギャップの上昇等を調査してきました。我々は様々な見方で計測した場合、不平等の急激な上昇を目撃してきており、これは高学歴で高所得であるトップ層の人間がより一層高いスキルを有するにようになってきたという事実を反映しています。テクノロジーは高所得者層に有利に働きました。グローバリゼーションもそうです。不平等はこれらの要因で上昇してきたのです。
それはつまりあるCEOが5百万ドルを稼ぐのは、彼がその金額に値するからということですか?
そのような疑問が生じるので、私は90パーセンタイル vs 10パーセンタイル(層の比較)に重点を置くのです。なぜかといえば一旦そのような超高所得層のレベルに注目すると、全体のストーリーが少し呑み込みにくくなるからです。エコノミストは、ほとんどの場合、2つの理由からその類のCEOには注目しません。理由の一つは、この状況は変化してきていますが、公開されているデータソースからはCEO達の情報を得ることができないからです。なぜならCEOは(あるいは途方もない大金持ちは)そんなにたくさんいないからです。なので例えばあなたがアメリカの家計の1%からサンプルをとるとすると、あなたは彼らのデータをたくさん得ることはできないでしょう。理由の二つ目はデータではトップ層の所得が隠されてしまう(top coded)からです。彼らが正確にいくらの所得を得ているのかを知ることはできません。彼らが250,000ドル(以上)の高額所得層に属しているということは分かりますが、彼らが実際は25百万ドル稼いでいるかどうかはわかりません。これらの理由から労働経済学者による文献の多くが、「大卒の学位を持つものは高卒の学位を持つものに比べより高い所得を得ているか?」、「院卒者の所得はより高いか?」、「弁護士間、医者間、あるいは工場の労働者間の給与の不平等についてどのようなことが起きたか」といった問題にフォーカスしてきたのです。
あなたの意見ではエコノミストではない人々はどのように考えるでしょう?d
私が専門家ではない素人の視点を劇画化してみると、不平等は社会において何か間違ったことが起きつつある証しだというものです。もしあるグループに属する人々が他のグループに比べて2倍の所得を得ていたとして、20年後にそれが4倍に拡大した場合には、それは懸念するべきことであり、社会政策の失敗を意味しているかもしれない、というものです。私自身の見方はこの2つの見方をミックスしたものです。平均的な大卒者と平均的な高卒者を比べた場合、もしくは90パーセンタイルと10パーセンタイルを比べた場合、エコノミストが重視する事柄(テクノロジー、グローバライゼーション、オフショアリング、アウトソーシング、スキルの変化、その他もろもろ)が大きな役割を果たし、おそらくはストーリーのほとんどを説明するかもしれません。しかし超トップ層の不平等、つまりなぜトップ0.1%層が途方もない金額を稼いでいるのかについて理解したいならば、我々は社会政策と政治について考えなければならないでしょう。
現実の数字から見て、アメリカとイギリスの不平等はどれほど悪いのでしょうか?
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Thomas PikettyとEmmanuel Saezの研究によれば、1950年代から1970年代にかけて、アメリカにおいてトップ1%層が国民の総所得に占めるシェアは約10%でした。2000年代についてこの数字を見ると20%を優に超えます。それは25%近くまで上昇し、その後下落しています。イギリスにおいては7%近辺から15%くらいまで上昇しました。不平等に至るトレンドはアングロサクソンの国々の過去50年間においてとても似ています。それがアングロサクソンに限られた現象でないことを言っておく必要がありますが。いくつかの国ではそのような現象が目立つ範囲では起きませんでしたが、多くの国の経済で同様のトレンドが見られます。
いくつかの国とは?
フィンランドとスウェーデンです。それらの国々でもトップ層の得るシェアは上昇しています。CEOが多くの報酬を得る多国籍企業の拠点がそれらの国々にあることを考えれば、これはそれほど驚くべきことではありません。しかしながら上昇ははるかに小幅です。(それらの国では)トップ1%が国民総所得に占めるシェアは大幅に低いものになっています。
Facebookで出回っているあるではCEOと労働者の所得を比較しています。たとえば日本においてそれは11対1です。ドイツでは12対1です。アメリカでは475対1です。あなたからみてこれはあるべき姿に思えますでしょうか?d
それについてすぐには答えが思いつきません。そのリストはどのCEOを含めるかで左右されそうです。しかしアメリカではCEOと労働者の賃金の比率はとても、とても高いです。Fortune500の会社の(CEOの)平均賃金を見れば、それはアメリカの労働者の給料の200倍以上です。これは他国での同様の数字と比べてたしかに高い数字です。
出所が分からない場合、こういう数字を信頼していいのかどうか分かりません。
それはエコノミストが用いる数字についてさえも同じことが言えます。これらの事柄を計測するのには多数の異なる方法があります。たとえば、労働所得(labour income)を見れば、トップ1%が得るシェアは低くなります。なぜなら、彼らの取得の大部分はキャピタルゲインから来ているからです。どの数字を見るかはとても重要です。