2012年3月16日金曜日

ソフトバンク-今昔

ソフトバンクの今昔を扱った2本の記事を見る機会があった。
  • 1本目は山根一真氏が 1984年に現代で孫正義氏(当時26歳)を扱った記事(「急成長!異能三人男が突っ走る 日本ソフトバンク・孫正義」)
  • もう1本は週刊東洋経済が2010年7月にソフトバンクについて扱ったもの(「解剖!ソフトバンク大躍進」, 2010年7月24日号)
この2本の記事を比較すると、ソフトバンクという企業の膨張と孫正義という経営者の一貫した突飛さが浮き上がる。

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山根氏の記事はソフトバンクの最初期を扱ったものだが、ソフトバンクおよびそれを率いる孫正義氏が会社設立当初から相当変わった存在であったことがよくわかる。

記事の冒頭で、山根氏は昭和58年5月に行われた「日本ソフトバンクの新たなスタートを祝い-大森康彦君と孫正義君を激励する会」という集まりを紹介している。この当時孫正義氏は25歳であり、ソフトバンクは設立1年半の会社であったのだが、この集まりには三井住友銀行会長、味の素社長、ミサワホーム社長、イトーヨーカ堂会長、三井不動産社長、富士ゼロックス社長といった財界の超大物たちが千人もこぞって駆けつけた。

この記事ではソフトバンクを以下のように紹介されている。
~現在発売されているパソコンの機種は九十を下るまいとされ、普及台数は二百万台に迫ると推定されている。バスに乗り遅れまいとパソコンを買いこんだものの、その七、八割が埃をかぶっているという説もあるが、あながち嘘とも言いきれない。パソコンは単なる機械にすぎず、仕事をさせるにはソフトが必要だからだ。ステレオで言えばレコードやテープがソフトに相当する。初期には、そのソフトをユーザーがコンピューター言語を操り作らねばならなかったが、その言語をマスターできた人はユーザーの五パーセント程度であったといわれている。やがて、そういうユーザーのためにできあいのソフトが販売されるようになった。ゲームマシンやワープロ用だけなく、給与計算や財務会計などのソフトがそれである。ふつうカセットテープや磁気ディスクに書きこまれて売られるが、日本ソフトバンクは、そういうソフトを専門に扱う商社である。ソフトの開発メーカーであるソフトハウスは全国に三百社あり、ソフトを販売するショップは三千店を越える。この両者を結ぶ流通組織がかつてほとんどなかった。孫はここにビジネスを発見し、流通組織を作りあげた。(P291より引用、黒字は引用者強調)
記事は続けてソフトバンクの成長ぶりについての関係者の意見を紹介している。
「パソコンの業界はまだ始まったばかりで、何がどうなるかわからない。それだけに、怪情報も飛交っているんですよ。でも、あと三年待てばどうなるかわかる。それまでは走ろう、ということで誰もが納得するんです。日本ソフトバンクの評価も三年後でしょうね。」
記事中の孫正義氏の言葉を紹介する。
この会社は、お金が出るだけでまったく収入はないんです。会社の目的は僕がどういう事業をするべきかを考えることにありました。人がしていないこと、新しいことをして世界一になるためです。そうでなければチャレンジする意欲が湧きませんからね
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この記事から26年後、週刊東洋経済の2010年の記事は冒頭、孫正義が2010年6月25日に行った「新30年ビジョン」の発表会の様子を紹介している

そのプレゼンテーションで孫氏は「30年以内にグループ会社を5,000社、株式時価総額を200兆にする」という目標を語った(なおこの時点のソフトバンクの時価は2兆7千億円だった)。

以下は記事中の孫氏のインタビューの中で名言(?)。
宇宙というのは中央集権構造ではない
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2つ付言:

  • ソフトバンクの成長は1981年以来一環した経路をたどったわけではなく、連結営業利益の推移を見ると、まともにある程度の額の利益がでるようになったのは2005年からである(つまり創業(1981年)以来、ほぼ25年くらいは小規模な企業だった)
  • 現在のソフトバンクの売上構成をみると、移動体通信とインターネット(平たく言うと携帯とヤフー)が収益の主力になっており、イーコマース(パソコン卸)は主力事業ではなくなっている