2011年9月26日月曜日

中東 - オバマ・パレスチナ国連加盟

2011年9月20日のアルジャジーラWebの論説欄に掲載されたRobert Greinerの論説 "The humiliation of Obama"の翻訳を以下に掲載する。


以下の翻訳に関して著作権者の許諾はとっておらず、著者(ないしそれに該当するもの)から指摘された場合は直ちに本ポストを取り下げる。

Robert Greiner, The humiliation of Obama, (last modified ver) 20 Sep 2011, Aljazeera English Web, available from here
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オバマを待つ恥辱

遅かれ早かれそれはやってくるだろう。もっともありえそうなのは、ニューヨークにおける彼の始めての首脳会合の直前である。あるいはネタニエフ[注:現イスラエル首相]とのほんのちょっとしたミーティングの前かもしれない。はたまた、各国の首脳とのばつの悪い会見が繰り返された結果としてかもしれない。けれどいずれにせよその時はやってくる。


来週ニューヨークで開催される本年の国連総会の開会式に出席するオバマ大統領は、どこかの時点でほとんど抵抗できないような衝動に駆られるだろう。彼は彼の行動すべてを規制し、彼個人の尊厳に対してまで命令を加えようとして立ちふさがる数々の政治的なハードルや息をつまらせるような官僚組織に対して立ち上がり、「もうたくさんだ(Enough)!」といってやりたくなるだろう。


1995年4月、クリントン大領領はホストとしてパキスタンのブット首相を迎えていた。当時アメリカ・パキスタン関係は 急激に悪化していた。数年前アメリカはPressler Amendmentと呼ばれる修正案にもとづきパキスタンに経済規制を課し始めていた。その修正案では、パキスタンが核兵器の開発を続けていることが発覚した場合、アメリカはパキスタンへの経済援助及び軍事兵器の売却を完全に停止することになっていた。 ブッシュ(父)大統領がパキスタンによる核兵器開発を発見したため、当時アメリカ・パキスタン間の関係は大幅に縮小されていた。


高まりつつあった両国間の悪感情の根幹には、従前合意された28機のF-16戦闘機のパキスタンへの売却をアメリカがキャンセルしたという事態があった。パキスタンは当該戦闘機の購入契約にサインしたさい、もしパキスタンがPressler Amendmentに違反すれば当該契約はキャンセルされるかもしれない、ということを認識していた。当該修正案とブッシュ(父)大統領が主張したパキスタンの核開発の関与を考えあわせれば、当該航空機のパキスタンへの売却を中止することには疑問の余地がなかった。ただ、ここには1つ問題があった。


パキスタンは戦闘機の代金として巨額の金額を先払いで支払っていたが、アメリカによると、パキスタンは戦闘機を受け取れないだけではなく、(当該戦闘機購入のため)パキスタンが(先払いで)支払った代金もパキスタンには返還されない、とのことだった。つまり、(飛行機製造の)請負会社はパキスタンが支払った代金を使ってしまっており、お金はすでになくなっていた。飛行機はできあがっていたが、アメリカの法律上パキスタンへの賠償資金を支払うための予算を捻出することを可能にするような規定がなかった。


たしかに、F16を別の国に売ってその代金をパキスタンに支払うことはできたかもしれない。でもそれには(政権に対して)敵対的なアメリカ議会の許可がいったかもしれないし、そのような許可はすぐには得られなかっただろう。端的にいって、この件に関してできることは何もなかった。その上、まるで被害に侮蔑を加えるかのごとく、パキスタンには当該戦闘機1機ごとに高額の保管料が課せられた-パキスタンが手に入れることのできない戦闘機1台ごとに。


擁護できないものを擁護する


アメリカの外交・安全保障関連の機関が1つの方向を向いて動き出したさいには、すごい光景が現れる。巨大な官僚機構は決定された方針に沿うような入念な理由付けをつぎからつぎへと大量に生産する。これらの理由付けは何十もの会議の場で、何十もの違うやり方で、気の滅入るほど反復される。この問題(パキスタンへの代金支払い問題)はその典型的なケースだった。


私自身その当時国務省に勤めており、国務省に勤務する者として国務省の内部からその光景を目撃した。明らかに正当化できるはずのないことを正当化するための理屈があらゆる階層のパキスタン人に対して伝えられた。それらの理屈は国務省とホワイトハウスのスポークスマン達によって発信され、議会証言の中で繰り返され、さまざまな違った設定のもとでマスコミに伝えられ、議員や公衆からの質問に答える書簡の中で詳述された。Executive Branch(アメリカの行政最高機関)内のコミュニケーションについては何も語られなかったが


官僚組織が作り出すこれらすべてのモーメンタム(運動)は、クリントン大領領が同様のメッセージをブット首相に直接伝えるというクライマックスへ向けて一直線に突き進んでいた。


その会見のための準備は、繰り返すが 、ものすごいものだった。作成のために何百人もの人間の時間が必要となる膨大なブリーフィングブックが作成された。それらのブリーフィングブックは、問題の状況、背景、そして入念に彫琢された政策を正当化するための理由付けを含んでおり、それらはアルファベットのタブによって整理された法律面のブリーフィングメモと大統領を実質的に腹話術士の人形にするために作成された会見時に話すべきことを詳述したポイントによって裏付けられていた。一切合財が国務長官と国家安全保障会議を経て大統領自身に至るシステムによる協調のもと整えられた。


そしてその時がきた。しかしこのケースでは最後の最後、これらの体系化されたナンセンス(官僚組織の慣性がつくりあげた記念碑)を注意深く読み込んだ後、ブット首相と会い、首相の目を見ながら、彼自身明らかに正当化できないことが分かっている理屈を主張しなくてはいけない会議に出席するまさにその直前で、クリントンはこれにかかわった官僚組織の誰一人として(絶対に誰一人として!)過去において考えたことすらないようなことを行った。


シンプルで曇りのない常識と神がほとんどすべての5歳児に与えるような生得的な正義感をもとにして、クリントンは「でも、これはフェアじゃない(but this is not fair)」といった。そしてクリントンは、(なんという驚き!)、会見の部屋に入っていき、同じことをブット首相にも言った。


ここに後刻2人のリーダーがプレスの前で会見するために現れたさいにレコーディングされたクリントンの言葉がある。「もうあなたにははっきりと言ったけれども、そしていかなるアメリカ大統領も以前にこんなことを言ったことはないと思うけれども、お金と兵器を両方ともアメリカが保持しているのは正しいことではないと思う。それは正しいことではない。なので私はこの問題の解決策を見つけるために努力をしてみる。」


もしあなたがアメリカ外交を職掌とする官僚組織で働いたことがないならば(それはつまりそれを内部者としてみたことがない、ということだが)、クリントンのこれらの発言がどれほどの効果をもったかを想像することすらできないだろう。これらの組織によって入念に準備され整えられた政策的立場が、最後の最後で、しかも世界中が見つめる場で、大統領によって覆される、それも完全かつ不意に。それは素晴らしいシーンだったに違いない。非常に悔いが残ることに、私自身はすべての準備を見たうえで、当のその大円団にはいあわせなかった。別の仕事に移っていたんだ。その場面を見るためならば何でも差し出しただろう。


そんなことがもう一度おこるんだろうか?


でも、この出来事は東アジアの外交政策をフォローするサークル以外ではフォローする人のほとんどいない比較的マイナーなイシューだった。だから想像してみてほしい(できるのであればだが)。今週オバマ大統領が国連の場でパレスチナの国連加盟申請を巡って現在のアメリカの外交政策を正当化しなくてはならない場面で同様なことが起こる、ということを。


我々はアメリカが、「アッバス議長がやろうとしていること(国連への加盟申請)は非生産的だ」、「それはオスロ合意を反故にするものだ」、「それはイスラエルとの間で議論によって合意に達するという必要な手続きを避けるものだ」、ということを言い続けていることを知っている。我々はアメリカ外交を職掌とする組織が、回転を上げるのを見てきている-アメリカの特命大使がパレスチナ人とthe Quartet(アメリカ、ロシア、EU、国連)に対して、同じような主張を繰り返すのを見てきている。それらの主張は国務省とホワイトハウスのスポークスマンによって練り上げられ、大小さまざまな会議の場で伝えられてきている。


けれど、同じことを何度も何度も声高に一貫して繰り返したしても、それが実際にそうなるわけじゃない。オバマ大統領はこのことをよく知っている。彼はイスラエル・パレスチナ問題を完全に把握している。彼は和平実現への道(Peace Process)が袋小路に突き当たっていることを理解している。


政権開始後の早い時期にオバマはウエストバンクへの入植を完全に止めることをイスラエルに命じることで(イスラエル・パレスチナ間の)協議を復活させようと試みたが、イスラエルのネタニエフ首相(の無視により)不面目にもその命令を取り消す羽目になった。彼が今年5月に向こう見ずにもイスラエルに対して公式に、イスラエルの現在のパレスチナ政策は受け入れがたく持続しがたいと告げ、現況の手詰まりを打開する交渉のやり方を示唆したとき、オバマはネタニエフにより公式に強い調子で非難されたうえ、彼自身の党のリーダーたちがイスラエルを支持してオバマを見捨てるという屈辱を目にする羽目になった。


そのような事態を受け、公式には認めることはできないけれども、オバマはパレスチナ問題から手を引くことにした。 彼は彼にできることは何もないと悟った。そうはいっても、パレスチナ問題がどこかにいってしまうことはない。


そして今、再び、彼は彼自身のそれとは根本的に相反するイスラエルの外交政策を公の場で支援することを強いられている。オバマはネタニエフには、正当な国家としてのパレスチナの出現を許す気はまったくないこと、したがってパレスチナには国連に訴える以外の選択肢がないことをよく知っている。


同様に彼は、世界の中で孤立しているアメリカのイスラエルへの支援とアメリカによる避けがたいパレスチナの国連加盟への拒否権の発動は、民主化しつつある中東においてアメリカの立場をおそらく永遠に掘りくずし、アメリカが名目的に掲げるアラブの人々の権利への支援は単なるごまかしであるということを明るみに出すであろうことを理解している。


人間としての側面


これらすべてのことはよく理解されている。これらのことがこれから起こるだろうということを我々は知っている。けれど、しばしば見逃されがちなのは(オバマ大統領の)人間としての(私的な)側面[the human dimension]である。


偉大な国家のリーダーには、1995年の4月のあの日のビルクリントンがそうであったように、そのどこかの時点で公の事柄が私的な事柄になる。私はオバマ大統領を個人的に知らない。だが、私の感じではこれは誇り高い男である。彼は彼自身をただの政治家ではなく、変革をもたらすリーダーだと自認している。彼はアメリカの中東との係わりにおける彼自身の役割として、変革をもたらすリーダーという役割を掴み出そうと意識的に試みた。結果として彼は公の場で、不面目にも繰り返し邪魔された。


政治の現実を前にして原則(プリンシプル)を犠牲にしなければいけないこと(すべての政治家はある時点でそうしなければならなくなる)と、それを公衆の面前で行うということ、つまり彼よりも事情に詳しい他国の首脳との1対1のミーティングでそれを口にすると相手の首脳たちが以後自分を低く評価することが分かっているような明白な誤りをそれでも口にしなければならいこと、はわけが違う。


これがニューヨークでオバマを待ち受けることであり、彼はそれを知っている。


アメリカの大統領のように多忙な身であれば、不愉快なことに対面することを避けるための多くの手段がある。けれどある時、大統領がニューヨークでブリーフィングブックを手に持って一人きりでいるときに、それはやってくるだろう。彼は胸苦しくなり、政治的なご都合主義を振り払うためにこのプラスチック留めされた1巻を持ち上げそれを誰かに投げつけたい、そして外に出て行き彼が本心で考えていることをいってしまいたいという衝動を覚えるだろう。


我々は大統領がそのようなことをしないことを知っている。 彼はこの衝動を抑えつけるだろう。そのようなことをするのは政治的な自殺行為だ。やはりNoである。大統領は自身の怒りを呑み込み、彼がしなければならないことをするだろう。けれど、アメリカが、的外れかつ不当にも、感謝の念をもたず、自己破壊的である同盟国に対して盲目的に忠誠をつらぬくことで、自身の安全と世界での地位を再び掘りくずそうとしているのとともに、それ以外のこと、それよりはるかに私的な事柄についても我々は目撃することになる、ということに思いをいたすのはいくらか価値があることである。バラク・フセイン・オバマ個人の公の場での恥辱。


著者のRobert Greinerは27年間CIAのClandestine Serviceに勤めた後引退した退役軍人。
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2011年9月26日初出